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2014.07.30
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カテゴリ:昭和期・中間小説

  『文壇』野坂昭如(文藝春秋)

 テーマはタイトル通り「文壇」ということで、いったいいつの頃の話なのか、内容について具体的に見ていきますと、冒頭、昭和三十六年に色川武大が中央公論新人賞を受賞した場面から始まっています。

 ところがこの色川武大のエピソードは、その後特に深まっていく(例えば色川と主人公が特別に親しくなるとか、作品に多大な感銘を受けるとか、ライバル意識を強く持つとか)、という感じではないんですね。
 ただその後、何度かこのシーンが出てきて、そしてその度に、授賞式壇上の色川武大の様子を、「非難の視線一身に浴びて、ひたすら前非を悔いる、罪人の印象」として繰り返しています。やはり、なにか筆者に象徴的なものがあるんですね、文壇とか、受賞といったものに対して。

 そういえば、色川武大の方も、バクチ打ちから一人とんずらするように足を洗い、業界紙出版会社に勤めながらこつこつと書いた小説が中公の新人賞になったものの、その後泉鏡花文学賞を受賞した『怪しい来客簿』まで、かなり長い文学上のスランプ期間を持ちました。(とはいえ、そのスランプ期間に名作エンターテイメント『麻雀放浪記』が出るんですよねー。)
 (ついでのついでに、本書『文壇』も、泉鏡花文学賞を受賞しております。)

 で、そのようにして昭和三十六年から始まった本書は、最後、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に殴り込んだところで終わっています。
 ということは、三島事件は昭和四十五年だから、……おや、わずか9年間だけの話ですか。とってもそうは感じられませんでした。

 もっともそれは、本当に9年間だけを描いたのではなくて、野坂昭如得意の「哀愁」を含むような回想シーンが結構たくさんあって、たぶんそのせいだと思えます。

 さて、そのように書かれた『文壇』という作品でありますが、まず最初、外面的といいますか、その辺から入っていけば、この作品は小説なんでしょうか、自伝なんでしょうか。
 まー、小説というジャンルは、そういった正体不明のすべての文字表現をカバーするジャンルでありますから(一応「文字表現」というのが、そのぎりぎりの境界線でしょうかねー)、訳の分からない作品はみんな小説にしておけばいいのかも知れませんが、でもそれって、本当に本当なのでしょうか。

 実際、考えてみれば『文壇』なんてタイトルや内容自体が、少し意地悪に言えば甘えていると感じないわけではありませんわね。
 一部のカルティーな読者(まぁ、私みたいなものですかね、「カルティー」ってほどではありませんが)に的を絞った究極の「楽屋落ち」でありますね。

 でも結局のところ、上記「ジャンル」を探るのにわたくしが途惑ったように、そんな風に思いながらも「需要」があるのは、作品が片付けられた分類先ではなくて、実際の細部の表現ではないか、と。例えば、……

 夜泣きをうるさいと小突き、脳震盪起こさせた兄ではない、書くうち、意識して、いかにも書き手自身と、読者が考えるだろう、兄の優しい心を強調、周辺の大人を意地悪に描く。兄妹は、苛酷な明け暮れを憐れ健気に生きる、その細部、とめどなく文字となる。初めの妹に抱いていた、これはまぎれもない愛情、養家先で初めて抱いた気持。血はつながっていないが、いとしく、何ものにも替えがたく思った気持をそのまま写した。自分を美化しているとの自覚が、さらに妹をいたわる虚構について、確かに、自虐的に書きこませる。わけ判らずではない、自分をいたぶる気持があった。

 作品中、『火垂るの墓』に対する筆者の感情は、デビュー作『エロ事師たち』について触れた部分も同様ですが、かなり悔恨を伴って反芻するように幾度か描かれています。
 それはまるで自意識の合わせ鏡のように虚像と実像がストレスフルに重なっていくのですが、考えれば、そのテーマこそが、ある意味週刊誌的な興味と共に、『文壇』という、ややもたれ掛かった作品の「需要」の中心なのかも知れません。

 ……「文壇」とは何かという問は、きっとその道の専門家、当事者、研究者等が既に様々な形で綴っていることと思います。そんな内容について、なにも知らない私が感想を述べたことではありますが、でもなまじっか「文壇」なだけに勝手にそう感じ入ってしまうわけで、そもそも小説とは、あらゆる人間活動を対象とするものでありましょう。
 その対象が「文壇」であった、と。
 そう考えれば、私のこだわっていたものにほぼ意味がなかったことが分かります。


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Last updated  2014.07.30 07:41:18
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