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2015.10.25
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カテゴリ:昭和期・中間小説
『ノボさん』伊集院静(講談社)

 先日何かの拍子に漱石の「『吾輩は猫である』中編自序」の文章を読んだところ、その中で漱石は、亡くなった友人、正岡子規に触れていました。

 本小説中にもありますが、子規は漱石がロンドンに留学している間に亡くなっており、だから漱石は子規の死に目にも会えず、葬式にも参列できませんでした。
 この漱石の「自序」は「明治三十九年十月」と日付が書かれており、子規死去から4年後の文章でありますが、漱石の、子規の死を悼む思いに溢れています。

 漱石英国留学中に子規から手紙が来て(「僕ハモーダメニナッテシマッタ」から始まる有名な手紙です)、ぜひとも倫敦の様子を手紙に書いて知らせてくれとあったのに、「こちらも遊んで居る身分ではなし、そう面白い種をあさってあるく様な閑日月もなかったから、ついそのままにして居るうちに子規は死んで仕舞った。」と書き出しています。

 そしてさらに子規からの手紙の中の「書キタイコトハ多イガ苦シイカラ許シテクレ玉エ」とある文を受けて、「余は此手紙を見るたびに何だか故人に対して済まぬ事をしたような気がする。書きたいことは多いが苦しいから許してくれ玉えとある文句は露いつわりのない所だが、書きたいことは書きたいが、忙がしいから許してくれ玉えと云う余の返事には少々の遁辞がはいって居る。憐れなる子規は余が通信を待ち暮らしつつ、待ち暮らした甲斐もなく呼吸を引き取ったのである。」と漱石は強い後悔の念を表しています。

 古今日本文学史上、多くの文学者達の友情物語があったでしょうが、この漱石と子規の友情物語も、若き日のそれが持つ無私性が縦横に現れていて、実に感動的です。

 というのも、さて冒頭の小説についての読書報告ですが、前半部がどうもぼんやりとした筆致で、なんだかとぽとぽと歩いているようで「だるい」感じで進んでいきました。
 主人公子規がどうもうまく動いていない、描写が平板な感じで印象に残らないなどと思っていたわけです。

 それが徐々に動き始めるのが、なるほど、子規が漱石と出会ってからでありました。
 それはどういうことかというと、「明るい子規と暗い漱石」という解釈のことであります。

 本小説は、司馬遼太郎賞受賞作品だそうですが、司馬遼太郎の代表作の一つ『竜馬が行く』に描かれる坂本竜馬がこれまた徹底的に明るいですね。
 日本人の坂本竜馬好きの原因の一つがこの司馬遼太郎の明るい竜馬だと思いますが、いつだったか、また誰の文章だったか、もはや覚えていないのですが(どーもすみませんねぇ、またしても出所不明の怪情報でありまして)、或る時編集者か誰かが司馬遼太郎に、竜馬はなぜあんなに明るいのですかと尋ねたところ、司馬氏は、「それは僕がそう書いたからだ」と答えたという文章を読んだことがありました。

 なるほど、竜馬が明るいのではなく、明るい竜馬を書いたということですね。
 小説ですものね。

 そして本書の「明るい子規と暗い漱石」は、そのコントラストにとっても説得力があり、子規の姿がくっきりと見え始め、中盤以降がぜん物語が面白くなってきました。

 そもそも結核から脊椎カリエスになり、布団から起き上がることもかなわず、強烈な痛みと共に生きた晩年の子規の姿が、放っておいて明るいはずがありません。
 本文中にもさすがにそれに触れた個所はあります。例えば、子規の俳句上の弟子筋にあたる河東碧梧桐の視点に則って、このように書いた部分があります。

 病状がおだやかな時はいいが、「ああ~痛い、痛い~」という子規の叫びに近い声が庵の中に響くと、そこですべてが一変する。碧梧桐はその叫びを何度となく耳にし、子規庵の空気が耐えがたいものになるのを知っていた。
 碧梧桐は自宅に戻ってからも、その声が耳から離れないこともあった。
「ああ~痛い、痛い~」
 という叫びを夢の中で聞いて夜半目を覚ましたこともある。


 しかしこのような場面は本小説ではかなり抑制的に描かれており、「痛い痛い」と叫ぶ子規も、その後けろりとした姿で現れる(もちろんそう描いているんですね)事が多いです。

 ただ上記に触れました「明るい竜馬」について、史実から読める竜馬の行動があるからこそ、司馬遼太郎の筆致に説得力があり国民が共感するように、子規の文学上の業績(俳句短歌界における巨人の様な業績)が裏付けられるから、私たちは本書の「明るい子規」に納得されるわけです。

 とすれば、「明るい子規」(コントラストとしての「暗い漱石」)というコンセプトは、思えば決して筆者だけの専売特許でもなさそうですが、それをベースにしながらひとつの子規像を作り上げたのは、出色の仕事であったと思うのであります。


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Last updated  2015.10.25 11:25:49
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