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2016.01.23
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カテゴリ:昭和~・評論家

  『漱石の記号学』石原千秋(講談社選書メチエ)

 「記号学」と、タイトルに書いてあります。
 ……、………うーん、こういうのって、よくわかんないんですよねー。
 新しい文芸批評理論にわたくし、ぜんっぜんっ、ついていけないんですよねー。

 かつて、もはや「古典」になっていそうな筒井康隆の『文学部唯野教授』を読んだ時も、作品中に描かれていた文芸批評理論がさっぱりわかりませんでした。(あ、だんだん思い出してきました。あのあたりから私は、何もわからない文芸批判理論を逆恨みして、自分では夏目漱石の「自己本位」のつもりで、勝手な読書感想文を書き出したんですよねー。)

 それに、新しい文芸批評理論って、カタカナが多くありません? あれやめて欲しいんですけどー。パラダイムとか、コンテクストとかいうの。……。
 「コード」なんて単語でも、私は読んでいてなんでここで電気のコンセントが出てくるんだよと思ってしまうほどであります。(威張るなよ。)
 やれやれ、困ったもんでありますなー。(自分がロートルなだけだろう。)

 と、思いながら読み始めたのですが、そしてやはり片仮名交じりの文芸理論も出てきたのですが(前半に多かったように思います)、でも筆者が述べている(のだろう)ことは、なんとなくわかりました。

 よーするに(私の「よーする」が少しくらいはツボに当たっているとして)、小説に描かれた内容は、書かれた時の時代背景をしっかりと精査し直すと、「今」読んで感じるものとかなり違うことがあるよ、と、まぁ、そんなところでしょうか。(我ながらかなりアバウトなまとめ方ですなぁ。)

 実は私は、過去に関川夏央氏が漱石の『坊っちゃん』について書いた文章を読んだ時に大いにそんなことを感じ、そして感心した経験があるんですね。

 それは、「坊っちゃん」が卒業した「物理学校」(現在の東京理科大学)について触れられた部分ですが、作中には「坊っちゃん」は下から勘定した方が便利な成績順でありながら三年したら自然に卒業してしまったと書かれています。
 関川氏の考察によりますと、その「物理学校」は、入学は無試験であったものの進級や卒業については極めて厳格で、三年で卒業する者は入学時の十分の一ほどであるということでした。

 ということは、実は「坊っちゃん」は極めて出来のいい学生であったということになりますね。……うーん、これは、我々が持つ「坊っちゃん」のイメージとかなり違いませんでしょうか。

 さらに関川氏は、この「物理学校」の実際の状況について、「このような背景は、当時の小説『坊っちゃん』の読者には諒解されていたことだと私は思う。」と書き切っています。
 うーん、使い古された表現ながら、「目から鱗」とはこんな事を指すんじゃないでしょうかねー。

 例えば本書にも、田山花袋の『蒲団』のことがこんなふうに書かれてあります。
 それは、『蒲団』は主人公の中年の小説家の「性欲の告白」の物語であると一般的には理解されていますが、実は『蒲団』が書かれた当時には「堕落女学生」というコード(!)がすでに世間に広く流布されていたというものです。

 そこに着目すると、主人公小説家の女弟子の行動を、肯定的に見ようが否定的に見ようが、作品の中心テーマであると思われていた主人公の「性欲の告白」の重みは、相対的にかなり軽くなり作品の佇まいは大きく変わってきます。
 なるほど、こういった発見は、実に刺激的ですよねえ。

 一方、本来の漱石作品については本書にどのようなコードによる解析があるかというと、「神経衰弱」「自我」「主婦」などいろいろあるのですが、「長男」と「次男」をコードにして、それらの言葉の当時の社会的認識と実態を元に、『坊っちゃん』『それから』(「次男」の物語)、また『行人』(「長男」の物語)などを捉え直しているのが秀逸でした。
 (一つのトリッキーな読みとして、『行人』の主人公長男の「一郎」が継子ではなかったかという仮説は、なかなかスリリングで面白かったです。)

 最期に少しだけ不満を述べますと、この筆者の文芸評論に時々見られる「味噌もくそも一緒」という強引さがやはり本書にも見られます(筆者はそれもわかって書かれているとは思いますが)。
 しかしトータルで見ると、なかなか刺激的な文芸評論でありました。


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Last updated  2016.01.23 15:40:10
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