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2016.03.17
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  『小説家夏目漱石』大岡昇平(筑摩書房)

 冒頭、「序説」と題して5ページほどの文章があります。主に『こころ』を論じた文章ですが、こんな事が書いてあります。

 元来こういう小説的状況を組み重ねて倫理的な存在を表わすというのはむずかしいのである。「先生」は親友との危機の中で、「人間らしさ」を主張したことがあった。そして彼のこういう人間の弱点に対する甘えは、彼より倫理的な性格の親友を自殺せしめることになる。「先生」は人間らしさの結果として、到来した事件の醜悪に堪えられなくなった。堪えられないのは彼もまた倫理的な人間だったからである。しかし堪えられなくなったからといって死ぬのは、少しも倫理的ではない。『こころ』の主題の弱さはただ小説のテーマが論理的に解決されているだけだからである。無論漱石はそれをよく知っていたのであるが、彼の考える小説というものは、要するにこういうものだったのだ。

 ……うーん、なかなか刺激的かつ魅力的な分析ではありませんか。
 実はわたくし、この本を近所の図書館で借りて読んだのですが、この本がお目当てで図書館に行ったのではありませんでした。
 しかし、この魅力的な「前書き」文章を立ち読みして、つい借りてしまったんですね。
 前書きでこれだけ鋭い言説なんだから、中身はどんなワクワクする展開になっていくのだろうか、と。

 で、借りて帰って読みました。
 えーっと、もちろん決してつまらないことはなかったですが、中身については、そんなに期待したほど漱石作品についてのアフォリズムの塊というわけではありませんでした。(考えたら当たり前ですよね。)

 実は、この440ページほどもある夏目漱石論は、いくつかの文章を除き講演録となっているんですね。特にその中心は、昭和50年に成城大学経済学部教養課程で1年間「外国文学」というテーマで行われた講義録であります。

 「序説」の後、4章ある構成のうちの第1章の文章の冒頭に、「本来経済学を選ばれたみなさんが、これまで楽しみに、または教養として接したと想像される夏目漱石の作品と、イギリス文学、フランス文学との関係を中心にお話ししようと思います。」と述べられてあり、主に漱石の前期三部作あたりまでを講義したものになっているのですが、これがまた、もちろんわたくしに「教養」がないのがその大きな原因かとは思いつつも、結構、いえ、かなり難しい内容なんですね。

 とても経済学部の学生に教養として教える範囲のものとは思えないんですが、……うーん、今から40年ほど前の大学生は、教養としてこんなハイレベルの文学論が分かったんでしょうか。
 そんな風に考えると、本書中に『彼岸過迄』をテーマに取り上げた講演録も入っているのですが、その講演には「昭和四十九年四月二十八日、赤坂プリンスホテルにおける『三和エレクトロニクス』十五周年記念パーティーの席上で行われた講演」と書かれてあり、……えー、現在の感覚で確認しますと、なんだか異世界に紛れ込んでしまったんじゃないかと感じるような違和感があるんですがー。

 大体「三和エレクトロニクス」ってどんな会社なのかとちょっとネットで調べてみますと、ありました、営業品目は「無線通信機器、超音波応用機器の製造および販売」「計測器類の製造および販売」「コンピューターおよび周辺端末機器の設計、製造および販売」などとなってます。会社の設立は「昭和34年5月1日」とあり、なるほどまさしく「昭和四十九年四月二十八日十五周年記念パーティー」で合致しますね。

 ……あのー、本筋からはるかに離れた感慨で申し訳ないのですがー、こういったことを知りますと、約40年前の日本人の教養と、現在日本人のそれとの間に、めまいのしそうな遥かな距離感を感じてしまうのを、わたくしはいかんともしがたく、たとえ40年前のそれが、ひょっとしたらいわゆる外面だけのもの(見栄虚栄のたぐいのもの)であったとしても、現在はそもそもそんな見栄の価値が発想されないのではないかと感じられ、思わず「日本人の劣化」などという文字が頭をよぎるのでありました。

 さて本筋に戻りますが、講演録が主ということで勢い緻密な分析を中心とした文学論とは異なるのですが、ただ筆者は小説家ですので、いかにも実作者らしい指摘があちこちに見られ、それがとても面白い部分となっています。例えばこんなところです。

 (略)あれほど説明好きの漱石が、男が女に惚れる理由はあまり詳しく書きませんでした。美禰子さんと三四郎は、最初東大の池のそばで眼を合わせた時から、愛し合ってしまうのです。

 漱石の姦通小説が中途半端なのは、新聞小説家としての自己規制のほかに、何か彼の深層に不倫と弄れながら、破局には到らない、という強制があったと考えないと、勘定が合わなくなって来ると思われます。ただし谷崎潤一郎は、宗助お米のような仲のいいカップルは羨しいといっている。これは漱石にすぐ続く文学的世代として、先行者の深刻ぶりへの皮肉です。

 (略)一体、漱石は十二年ばかりの間にいい小説を八つ続けさまに書いて死んでしまった特異な作家でして、次の作品のテーマは一つの作品を書き終わるか終わらないかのうちにできていたと見なしていいのです。前の作品で書き残したもの、或いはそのテーマの発展として、次の作品が書かれるという経過を辿ることが多いのです。


 最後の文章は、『行人』について語られている部分から抜粋しましたが、筆者は『行人』にすでに次作『こころ』の大きなテーマである「自殺」が読めるのではないかと説いています。そして、そうだとすれば一体誰が自殺するはずであったかと辿っていくのですが、このあたりは、そもそも原文の漱石の小説展開が探偵小説めいていることもあって、なかなかスリリングな分析となっています。

 以前からの「持論」でありますが、「源氏・漱石本に外れなし」は、本作でも立証されたと、厚かましくも手前勝手な感想のまとめを、わたくしは持ったのでありました。


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Last updated  2016.03.17 13:42:57
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