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2016.04.05
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  『漱石文芸論集』夏目漱石(岩波文庫)

 少し前に、同じく岩波文庫の『漱石文明論集』という本を読みました。
 この度の本は、ほぼ同じコンセプトで編集されているとは思うものの、『文明論集』がわりと多岐にわたった内容(収録作品のジャンルについても、漱石の主張についても)であるのと比べますと、少し「一本道」という感じがしました。

 でもそれは、要するに漱石にとって小説(文芸)とは何かをストレートに語ったものであるということです。

 これも少し前に、大岡昇平が漱石について語っている本を読みましたが、その中で大岡は、漱石は小説のことを作者の倫理観を表すものだと考えていたと述べていましたが、なるほど、漱石自身の文章からも、今回の読書でかなり辿れるように思いました。

 上記に本書は割と「一本道」と書きましたが、様々な文章の表現の中に同じ方角を向いた思考が見られます。
 例えばこの文章は、モーパッサンの『首飾り』という短編の最後の部分について触れた個所ですが、

 奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬をモーパッサン氏もしくは読者から得る事が出来ないようになってしまいます。(略)それというのは最後の一句があって、作者が妙に穿った軽薄な落ちを作ったからであります。この一句のために、モーパッサン氏は徳義心に富める天下の読者をして、適当なる目的物に同情を表する事が出来ないようにしてしまいました。(略)いくら真相を穿つにしても、善の理想をこう害しては、私には賛成出来ません。

 漱石は、そもそも文芸の理想は4つあると述べています。(以下、本書収録の「文芸の哲学的基礎」を中心にまとめてみます。)

 1.「感覚物」……情緒(美的理想)
 2.「感覚物からの心的作用」……
           (1)知(真に対する理想)
           (2)情(愛と善の理想)
           (3)意志(荘厳に対する理想)

 このように漱石は「美・真・善(愛)・荘厳」の4つを文芸の理想と整理しています。(「荘厳」というのは少しわかりにくいですが「ヒロイズム」という説明があります。)
 そしてこの4つの理想は、本来平等であると説いています。

 ところが次に「現代文芸の理想は」と問いを改めた時、漱石は最上位に位置するものを「真」であると書いています。
 しかし、「真」であればそれで何もかもいいのかという疑念を持って説明された部分が、上記の引用部分です。

 これらの説明は、明治文学史的状況から考察すれば、時の「自然主義」に対する漱石の批判と捉えることができそうです。

 では、漱石自身はどの理想を個人的に上位に置いているか(漱石は、時代による流行り廃りはあれど、あくまで4つの理想は平等だと説いていますが)といえば、このような表現があります。

 (略)長編の小説となると道徳上の事にわたらざるを得ない。さてここに長編の一小説を草するとすると、作者が作中の事件については黒白の判断を与え、作中の人物については善悪の批評を施さねばならない。作者は我作物によって凡人を導き、凡人に教訓を与うるの義務があるから、作者は世間の人々よりは理想も高く、学問も博く、判断力も勝れておらねばならないのは無論のことである。文学は好悪をあらわすもので、普通の小説の如き好悪が道徳にわたっている場合には是非とも道徳上の好悪が作中にあらわれて来なければならん。(「文学談」)

 ……さて、このような小説観(文芸観)が現代においてはすでに旧弊なものであろうことは、現代文学理論のことをあまり知らない私でもなんとなくわかります。

 少し前に流行ったらしい「テクスト論」などの考え方とは真っ向から対立するものでありましょう。(最近は「テクスト論」ももはや少々古いそうですが。)

 しかし、現代においても漱石作品が広く読まれていることの理由の深い部分には、作品の背後に苦悩する誠実な作者の姿を見るという感情が、学問的にはもはや意味のないものだとしても、多くの文学ファンの読書欲の中にあることは疑われないはずだと、わたくしは小声で呟くのでありました。


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Last updated  2016.04.05 15:39:54
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