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2016.06.15
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カテゴリ:昭和期・後半

  『巨船ベラス・レトラス』筒井康隆(文芸春秋)

 先日、作家の小川洋子さんの講演会に行ってきました。(厳密に言いますと講演会ではなく、「小川洋子さんと語る会」で、小川さんがまとまった時間一人で聴衆に語りかける会ではありませんでしたが。)

 その会で、小川さんの出版したいろんな分野の科学者との対談の本が話題に取り上げられ、小川さんは、対談の時間中私はとても楽しかった、とっても素晴らしい時間を持てたと述べられました。
 そしてその理由について、一流の科学者のみなさんが同様にお持ちである自然や真理に対する敬虔さについて強く指摘なさっていました。

 なるほど、うろ覚えの記憶で申し訳ないのですが、万有引力の法則をはじめ自然科学界で様々な業績を残したあのアイザック・ニュートンでさえ、「私は自然界の真理を解き明かしたりなどしてはいない。自然界という広い渚の波打ち際で、波と戯れていただけである」みたいなことを、確か……、えーっと、確か、言っていませんでしたかねぇ。
 ……毎度出所不明な文章ばかり書いてすみません。

 しかし、そんな「敬虔」なんて言葉を、落ち着いたしっとりとした感じの小川洋子さんが口に出されますと、なんかはっと心撃たれるものがあって、以来わたくしの心に「敬虔」というキーワードは、暖かい温もりを放ちながら残っております。

 ところで、上記に私は小川氏のことを「落ち着いたしっとりとした」と書きましたが、実際のところ小川氏の人となりが本当にしっとりと落ち着いた感じの方かどうか、わたくしは全く存じ上げません。しかし、まー、普通小説のひとつも書こうという方は、外見の印象はともかく、そんなにしっとりしたり落ち着いていたりはなかなかしていらっしゃらないんじゃないかと、こっそり推測するばかりなんですがー。……。

 さてここに、冒頭に挙げた筒井康隆氏の「文壇小説」(といっていいのかよくわかりませんが)があります。登場人物はことごとく上記に挙げたエピソードの「敬虔」の対極に位置する人物ばかりです。それはもちろん、作者がそう書いているからであります。

 一時期、わりと丁寧に筒井作品を追いかけて読んだことがありましたが、最近はほぼ新作を読んでいませんので、この作品が、今に至って続いている作者の長い執筆活動期間の中で、どんな位置づけなのかまったくわかりませんが、なんといいますか、なんでこんなの書くのかなというのが、正直なところ初読感想でありました。

 ただ、そんな感想と共に、筆者がひたすら追求しているものの存在と、その存在=目的のためにのみすべての表現活動は捧げられるというような、思いがけない筆者の(いおうと思えばそうもいえそうな)「敬虔」さも、この度は、同時に感じるのでありました。
 ではその対象とは何かと考えますと、それは「小説の全き自由と永遠の可能性」というテーマではないか、と。

 実は多くの小説家(ほとんどの小説家)は、小説を執筆しながら小説以外のものをテーマとしています。そのテーマは、例えば人間であったり、生きるということであったり、また、社会や、人類、国家、神、など様々なものです。

 一方読む側の我々にしても、感動したっ! と強く思うその感動は、その小説が人生なり人間を描いているからという理由がほとんどで、「この小説の存在そのものに感動した!」というのは、まー、ないとは言いませんが、極めてレアなケースでしょう。

 それは小説だけでなく、純粋に音楽がテーマの音楽とか、絵画がテーマの絵画だとかは(そんなものがあるとして)、たとえそこに優れた結実があっても、人はなかなか感動までには至らないというのが実際ではないでしょうか。(テクニックとか実験とかにはそんな側面が確かにあります。)

 ところが、ここにある筒井康隆氏の小説であります。
 実は私はこの冒頭の小説の前にも、筒井氏の『邪眼鳥』という小説を読んだのですが(こちらの方が私はできがいいと思ったのですが)、またしても何とも感想の述べにくい小説で、2冊連続して筒井作品を読んだ私は迷い悩んだあげく、畢竟これは小説自身がテーマの小説だなというところに落ち着いたのであります。

 だから登場人物の男性がことごとく女と金と権力にしか関心のない下品な人格であっても、女性が絶世の美女ばかりであっても、それはそれでよく、小説世界の新たな可能性の広がりがそこにもたらされたら、その小説は完成(成功)である、と。

 ……また話題は少々飛ぶんですがー、……少し前にノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊教授が、受賞時のインタビューで、先生の業績は何の役に立つのですかというはなはだ「下品」な質問に対して、「すぐに何かの役に立つということはない、ただ人類の知の地平を広げただけだ」とお答えになりました。
 それをテレビで見ていたわたくしは大いに納得したのですが、それと同様の理解ができるものか見当のつかない所も少しありながら、筒井氏のこれらの小説群とはまさに、小説の可能性の地平を広げるためなら作品の感動など屁とも思わないという、世の中にまれに見る「純粋小説」ではありませんか。

 冒頭わたくしは、小説家に「敬虔」は似合わないとばかりの暴論を展開しましたが、なんのなんの、ここに実に敬虔な「小説教ファンダメンタリスト」(すべてを小説の可能性のために奉仕する主義)の筒井康隆氏を、思わず発見したのでありました。


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Last updated  2016.06.15 18:04:31
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