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2016.06.27
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  『近代文学の女たち』前田愛(岩波書店同時代ライブラリー)

 この筆者の作品は初めて読みました。
 こういう名前の文芸評論家がいるということは、少し知っていました。このお名前で男性だというのも。
 この度ちょっとグーグルで調べてみましたら、案の定というか、最初は別の女性が出てきました。
 その女性の写真を、じーっとしばらく見ていて気が付きました。

 「あ、この人、見たことある! ガメラ3の女の子だ!」

 ということで、そーか、この筆者はガメラに出ていた人かー。(違う違う。)

 ……えーっと、この筆者のことで以前少し知っていた事柄ですが、なんでも「テクスト論」とかが出てきたところで見たように記憶します。
 でも、これがよくわからないんですよねー、「テクスト論」。
 新しい文学理論にほとんどついていけてません。

 ただ先日、何の拍子か間違いか「構造主義」に関する入門書を読んでいたもので、そのついでに少しだけ「テクスト論」を理解しました。
 なんでも、作品から作者をどんどん消してしまうという読み方であるようですね。
 そもそも作者には、自らの作品を正しく説明などできないと考えるんですね。作品の意味なんか作者に聞いたところで仕方がない、と。それどころか、作品に正しい唯一の意味などないとも考えるそうです。

 まー、そのように言われると、なんとなくそういうものなんでしょうかねぇ、くらいは思うのですが、でもそこいらに納得し切れないいろいろなものが残るような気もします。

 ともあれ、作品理解から作者知識や作者周辺をすっかり取り去ってしまって、じゃ何を手掛かりに作品を読んでいくのかというと、それこそ「テクスト」そのものです。
 書かれた内容を忠実に、書かれた時代背景の中に再現して、そして作品の意味を理解していくという、考えれば文学研究というよりは歴史研究に近いと感じる読み方ですね。

 という風に「テクスト論」を取りあえず理解(曲解)して読んでいったのですが、でもこれはこれで新しい発見があって、とても面白いものでした。

 実はこういった作品の読み方は、以前、関川夏央の文芸評論を読んだ時にはっと感心しながら教わったことがありました。
 今も覚えている簡単な例を挙げますと、夏目漱石の『坊ちゃん』の主人公は左利きである、と。本文にこうあります。

 親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せて居たら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切って見せると受け合った。そんなら君の指を切って見ろと注文したから、何だ指位此の通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸いナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いて居る。然し傷痕は死ぬ迄消えぬ。

 なるほど、「右の手の親指の甲」に切り込む利き手は左手でなくてはなりません。
 しかしこういう読みって、当たり前のことで、『坊ちゃん』を読んだ多くの人は気付いていたのでしょうかね。不注意な読みしかできていなかった私だけが、教えられてはっとしたのでしょうか。

 実際の文芸評論としては、さらに「左利きの坊ちゃん」が、作品世界にどんな新しい佇まいを見せるかというところまで分析していかねばならないのでしょうが、今のところ私にはわかりません。でも、なんとなくハッとするような「リアリティ」を感じるばかりです。

 さて、そんな「手品」を見せてくれるかもしれない文芸評論家の作品ということで本書を読んでみました。
 本書にはサブタイトルが付いていまして、「『にごりえ』から『武蔵野夫人』まで」とあります。実際に取り上げられている近代文学の女たちは、以下の6作品の女たちです。

  樋口一葉『にごりえ』・尾崎紅葉『金色夜叉』・森鴎外『雁』
  有島武郎『或る女』・谷崎潤一郎『痴人の愛』・大岡昇平『武蔵野夫人』


 上記に触れた「左利きの坊ちゃん」的興味でいいますと、その舞台の時代から遠く離れるほどに、特に小説に描かれるような社会風俗は分かりにくくなりますから、古い作品の批評のほうがおもしろいだろうとあたりをつけますと、まさにその通りでした。

 前3作の評論文に私が知らなかった風俗めいたことが一杯書いてありました。
 挙げていくとキリがないのですが、例えば『にごりえ』の主人公の女性は「銘酒屋」の女給(私娼)ですが、この「銘酒屋」の現れるのが日清戦争前後のことで、いわば時代の風俗の一番新しいところを一葉は取り上げていると指摘します。そしてそれができたことについて、さらにこんな補足があります。

 (一葉一家は)明治二十七年の五月一日に本郷の丸山福山町に移ります。(略)ここは本郷台地の崖下にあたるところで、その近所には銘酒屋と呼ばれる私娼街が連なっているところだったのです。そして一葉は銘酒屋に働く女性たちの身の上相談を引き受けたり、銘酒屋の看板を書いたり、あるいはまた手紙の代筆をしたりして重宝がられるわけです。

 上記に、作品から作者の姿をできるだけ抜き取ると書きましたが、やはり作者の姿が見えると作品のリアリティが俄然浮かんでくる箇所であります。

 そんな「発見」が一杯、例えば『金色夜叉』の冒頭に出てくる百人一首のかるた会は、時代の最先端の遊びであったとか、『雁』のお玉の家の格子窓に万年青の鉢が置いてあるが、あれはその時代広く行われていた「囲われている女性」の家の印だったとか、そんなことが書かれています。

 なるほどねぇ。
 本当に正しく本文=テクストを読むとは、つまりはこういうことだったのかと、思わず唸らせられる本書でありました。


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Last updated  2016.06.27 23:01:58
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