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2016.07.25
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  『漱石書簡集』夏目漱石(岩波文庫)

 今年来年は2年にわたる「漱石イヤー」ということで、「何を読もうか、そうだ、小説以外の漱石作品は如何」と思いつき、少々読んでいます。
 小説家の個人全集を買うと(今は個人全集を買うことも久しくなくなってしまいましたが、昔は何人かの小説家の個人全集を買いました。しかしどれだけ読んだかというと、うーん、……秘密)、たいてい終わりのほうの巻に収録されているのが日記と書簡ですね。

 今書いたように私はもはや長く全集本を買わず、つまり全集でまとめて一人の作家の書いた物を集中して全部読むこともなくなってしまったので、そんなことをしていた昔の頃を思い出すしかないのですが、そもそも日記と書簡は、読んでいてどちらがより面白かったんでしょうかね。

 例えばそれを小説のスタイルとして考えてみますと、日記体も書簡体と両方ともありますよね。世の中にはけっこういっぱいそんなスタイルの小説があったような気がします。
 ふっと思い出すところで例えば太宰治の作品でいえば、さてどちらのスタイルの作品が面白いでしょうか。

 今私が太宰を挙げたのは、彼なら日記体も書簡体もどちらもたくさん書いていそうに思ったからです。そこでぱらぱらと全集(「個人全集」!)を出してきて、目に留まったそれぞれの有名どころ作品を挙げてみますと、書簡体小説としては『虚構の春』『パンドラの筺』『トカトントン』など、日記体小説としては『HUMAN LOST』『正義と微笑』などが目に付きました。

 あれー? 思ったよりそんなにたくさんあるわけではありませんねー。
 しかしぱらぱらと見ていた範囲でも、一人称の小説はいっぱいあります。それらはどういう形式を取っているかとみますと、いわゆる「手記」なんですね。

 ……そーかー。「手記」って形式が、確かにありましたよねー。
 例えば『人間失格』は、3つの手記を中心に成り立っています。
 『斜陽』の中にも、それなりのボリュウムをもって「直治の手記『夕顔日記』」「直治の遺書」(遺書は、たぶん手記でいいんだと思います)などが含まれます。

 (えーっと、これは今回のテーマじゃないのでこれ以上の深入りは避けますが、そもそも一人称小説と「手記」は、どこまでが一緒で、どこからが異なるのでしょうかね。きっとその辺をしっかり研究している方もいらっしゃると思いますが、なかなか興味深そうなテーマですよね。また後日考えてみたいと思います。)
 
 ということで、あの太宰治ですら(「あの」「ですら」というのはよーするに、太宰治は日記体とか書簡体スタイルで小説をたくさん書いていそうだという、わたくしの浅はかな思いこみの結果だったわけですが)、さほどにはこれらのスタイルを用いなかったことが分かりました。

 ではその原因はなんなのか。
 少し強引にまとめてみますと、日記や書簡が持つ独特のスタイルは、うまく小説に利用できそうな一方、その様式そのものにやはり煩雑さや不自由さが感じられるからではないか、「手記」の方が本来小説の持つ自由度の高い表現にマッチするのではないか、と。
 さらにざっくり言えば、手記はすらすらとそのまま読めて面白いが、日記・書簡はけっこう読むにあたってあれこれ想像力が要求されたり、めんどうじゃないかというわけですね。(さらにもう少ししつこく続けますと、これは結局のところ作品のリアリズムという問題ですね、きっと。)

 また少し話が飛ぶのですが、漱石作品中一番の書簡体小説は何かを考えてみました。
 ……んんー、……『こころ』、でしょうかねー。
 ……というか、『こころ』以外に、私は書簡体を用いた漱石作品がすぐには浮かばなかったんですね。そこで、ちょっと調べてみますと、『行人』の最終部に書簡形式の部分が出てきますが、漱石作品ではたぶんこの二つだけです。

 さらに『こころ』にしても、小説の後半の半分くらいが一応書簡の形(恐ろしく長い一通の手紙です。本文の「四つ折りに畳まれてあった」という個所を取り上げて、こんな多い紙を四つ折りにはたためないだろうと書いた評論があって私は笑いました。)を取っていることと、かつ、その部分においても書簡としてのリアリズムはほぼ追求されていないというスタイルであります。

 というわけで、冒頭の本書も読み終えるのにけっこう時間がかかりました。
 いえ、こう書いたところで、今さらながら違和感を覚えることに気がつきました。
 実はここまで書いて、私は冒頭の「書簡集」の外堀くらいまで辿り着いたように考えていたのですが、どーも上記のまとめ方と本書を読んでの印象が大きく異なっていることに改めて気がついたというわけです。

 この違和感はいったい何なのか。
 それは結局、書簡体小説と実際の作家の書簡のありようとの違いということでありましょう。別の角度からもう少し具体的に書くと、我々は書簡集を読む時、本来、書簡体小説を読むほどには面白さを期待しないし要求もしないということではないでしょうか。

 ところが今回なぜ私が、書簡集と書簡体小説の有り様を頭の中で混乱させてしまったかと考えますと、それは『漱石書簡集』が、あたかも書簡体小説のごとき面白さを持つ(厳密に言いますと「面白さを持つ部分がある」)ということでありました。

 ……さて、その辺をもう少し考えて、次回に続きます。どーも、すみません。


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Last updated  2016.07.25 18:52:24
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