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analog純文

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2016.08.28
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  『想像ラジオ』いとうせいこう(河出文庫)

 じっくりと重く深い本です。
 わたくしは基本的に重く深い本にはあまり堪えられないところがありまして、今まで充分取り上げませんでした。いえ、もちろん内容の重く深い本を評価しないのではありません。それどころか、本書に私はかなり感動しました。こんなに感動したのは、遠藤周作の宗教がらみの重い小説を読んで以来です。

 本書に感動した理由はもう一つあります。
 本書の初出誌は「文藝」2013年春号ということで、単行本の初版発行年月日は「2013年3月11日」となっており、これはもちろん2年前同日の東日本大震災当日に合わせたわけですね。

 つまり、東日本大震災が発生してはや2年がたち、この間この地震をテーマにした文学的な結実がどうであったかということを考えた時、私は本書の存在と、言い換えれば本書を書ききった筆者に感動と尊敬の念を持ったのであります。

 さて、それが自然的なものであっても人為的なものであっても、現実に起こった大きな事象(歴史的事件)をテーマにしていわゆる「文学作品」を作り上げるのはなかなか難しいということを、私はかつて何かで読んだ(言われた)ような気がします。

 しかしよく考えると、そして近代日本の歴史と近代日本文学だけで考えても、例えば「戦後派」(第二次世界大戦終戦直後に、戦争小説を書いた一連の作家達ですね)という存在は、必ずしも上記の主張に合っていない気がします。

 わたくし思うのですが、文学作品に結実するのが難しいのは、自然界の大きな事象(いわゆる「天災」)をテーマにした作品なのではないでしょうか。
 つまりそれは、人為的な「敵」の作れない「事象=歴史的事件」は文学作品になりにくい、ということでしょうか。

 例えば大正13年の関東大震災で考えてみます。
 といっても詳しい歴史的事実をほとんど知らないど素人のわたくしのアバウトな理解で申し訳ないのですが、関東大震災を正面からテーマとした文学作品(「純文学作品」)ってどれだけありますか。
 私の知っているのは水上瀧太郎の『銀座復興』くらいであります。(しかし『銀座復興』も今となっては「古き良き時代の震災復興」話しという感じの小説です。)

 確かに今回の東日本大震災は、正面から文学テーマとして語るには、今までの「天災」文学とは単純に比較できない要素がありそうです。

 その第一は、言わずと知れた原発事故の問題です。この現実はまだまだリアルタイムの「事件」です。(ただし、というか、それも、というか、とにかくこの「事件」は「人工的」な事件でもありますね。)
 第二に「震災復興」といっても、大正時代の関東大震災の時の復興と、現代の東日本大震災の復興とでは、「復興」という言葉が同じなだけで、具体的な物を挙げていくとほとんど異次元のものごとであるようにも思います。

 しかし、にもかかわらず、わたくしにはなぜ日本の現役のプロの小説家(純文学作家)がたくさんこのテーマに正面から向き合わないのだという思いはなくなりません。
 まだ、早い、のでしょうか。本当に、まだ、早いのでしょうか。
 本文にこんな表現があります。

「むしろ僕は彼もまた、死者の声を聴こうとして、そのことばっかり考えているんじゃないかと思った。で、聴こえないでいる。実際に聴こえてくるのは陽気さを装った言葉ばっかりだよ。テレビからもラジオからも新聞からも、街の中からも。死者を弔って遠ざけてそれを猛スピードで忘れようとしているし、そのやりかたが社会を前進させる唯一の道みたいになってる」

「僕は向こう十年くらい、あちこちの家やビルの前に黒い旗が掲げられていてもいいと思っている。もちろん半旗になっていてもいいし、僕自身喪章を巻いて暮らしたっていい」
(略)
「死者と共にこの国を作り直して行くしかないのに、まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。この国はどうなっちゃったんだ」


 日本は世界の中でも飛び抜けて天災の多い国であり、その天災で亡くなった人々に対しても、申し訳ないながら定まった形での哀悼の意を表した後は、その先に進んでいかねばたぶんやっていけない国でありましょう。

 だから上記に取り上げた作品内の表現が現実離れしているという指摘を受けたとしても、私はその通りだと思います。
 しかし、私の考える文学(純文学)とは、そのように日々動いていく最先端の現実社会から荒唐無稽だと誹られたとしても(いえ、誹られるがゆえに)、その現実(歴史的事件)について、じっくりじっくりと繰り返し繰り返し、しつこいほどに愚直に立ち止まり見つめるところにこそ、その存在価値があると考えます。

 仮にもプロの「純文学作家」がなぜ取りあげないのでしょうか。まだ早すぎて十分深まりのある作品が描けないのでしょうか。
 でも私は思います。まず裾野を広げてほしいと。
 とりあえず多くの作家がたくさんの作品を書いてほしいと。作品が多く存在すると、自ずとその質は上がって行くはずです。
 ぜひ。
 頑張っていただきたいと。


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Last updated  2016.08.28 13:45:35
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