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カテゴリ:昭和~・評論家
『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』橋本治(新潮社) 前回の続き、後編であります。 前回はどのようなことを述べていたのかと申しますと、橋本治という理屈っぽいお方がさらに理屈っぽい小説家三島由紀夫の作品を分析するものだから、理屈っぽさの二乗となってしまい、もー、たいへん、ということではなかったか、と。 でも世間には、結構理屈っぽいことを考えることの好きな人がいるとわたくしは考えるのですが(まー私も、相対的に考えればそんな一人かなとも思いますが)、そんな人にとっては本書は結構楽しく読めると思います。(そうじゃない人にとってはたぶん、わー、もー、くどい、しつこい、くどい、しつこい、くどいくどいくどいしつこいしつこいしつこい……といった作品になるか、と。) そんな作品の読書報告を始めようとしているのですが、……実はわたくしあまり自信がありません。 その理由は前述した通りで、とっても頭のよい人がとっても頭のよい作家の作品を批評した本を必要以上に頭の悪い私が報告しようとしているという、どーショーもない状況にあるからですね。 というわけで、そのあたりをまずガッテンしていただいて以下をお読みいただきたい、と。 さて筆者が、三島由紀夫を読み解くに当たって最大の手がかりにしている考え方は、本文表現で言えばこういう事です。 「(三島由紀夫の小説は)幻想小説と化した三島由紀夫の私小説」 つまり三島作品は「私小説」であると、まず定義するんですね。 その根拠となる三島自身の表現を本文から孫引きをしますと、こんな風に書いてあります。 これで私の文学的自叙伝はおしまひ。 その間に、私は芝居を書いたり、エッセイを書いたり、紀行を書いたり、短編小説をどつさり書いたりしたが、本当の自叙伝は長編小説の中にしか書いてゐない。(三島由紀夫『十八歳と三十四歳の肖像画』) なるほど、そういわれれば納得できないわけではないですね。 例えば、三島作品に結構血縁関係がありそうに感じられる谷崎潤一郎の小説も、虚構の形を取りながら、書かれた当時の谷崎の嗜好(谷崎の場合は特に「女性に対する嗜好」)が思いの外にストレートに出ていることに、わたくしも驚いたことがありました。 そして、そういう「定義」で迫っていく三島作品は、主にこの三作です。 『仮面の告白』『禁色』『豊饒の海』 ……まー、いかにもと感じるチョイスですね。(『禁色』の入っているあたりが特にそんな感じがしますね。) ともあれこの三作について、前回並びに冒頭で触れたように、極めて理屈っぽく理屈っぽく迫っていった筆者がどんな主張に達したかと申しますと、これが結構むずかしい。 何となくシンボリックに感じられるまとめ方を致しますと、そもそもの三島由紀夫の根源的な欲望(特にエロスに絡む欲望)は、「したいけれどしたくない、なりたいけれどなりたくない」というアンビバレンツにこそある、と。 (本当は、本書ではそこに「物語を書く三島由紀夫」と「物語に書かれる三島由紀夫」の協働、融合、そして崩壊というテーマが絡んでくるのですが、もー、この辺は、なんともよくわかりませぬ……。) なるほどこのシンボリックな表現の元にまとめていきますと、初期から前期に広く見られた、不健康な欲望と理論が不健康なしかし豪華な美を生んでいた構造の作品群も、後期から晩年(即物的には三島由紀夫が肉体改造を行った以降)の、シンプルで力強くはあるが分厚くアラベスク的な美意識が姿を消していった作品も、どちらも三島自身にとっては次作に再起を図るような隔靴掻痒のもどかしさかもしれず、そしてその隙間に虚無が忍び込んだ時、三島由紀夫は一気に死へと傾斜したのではないか、と。 ……えーっと、本書にはたぶんそんなことが書いてあったと思うのですが、ひょっとしたらまるで違うかもしれません。(上記のまとめは、かなり単純でストレートすぎる気が、我ながらちょっとします。) 普通人以下に頭の作りの悪いわたくしとしましては、本書を部分部分はそれなりに楽しんで読んだのですが、どーも、全体の構造的理解につきましては自慢じゃないがおぼつかない、と。 それこそ「幻想と化した」作品理解となった気がいたします。 ……というわけで、重ねて、申し訳ありませんということで……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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