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2017.02.03
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  『中原中也』大岡昇平(講談社文芸文庫)

 ……えー、詩人中原中也です。
 いえ本当は、大岡昇平が書いた中原中也の評伝なんですが、詩や詩人について語ることは、魅力的ではありながらなかなか難しいと私はずっと感じてきました。本書にもこんな表現があります。

 詩人の才能はあらゆる才能と同じく天賦である。我々は習練によってそれに到ることはできないし、その成立要素を文芸評論をもって再構成し得るかどうかも疑わしい。我々はこの言語結合の能力が一個人に帰せられるという不思議を素直に容認するほかはない。その能力はあらゆる能力と同じく、内容は無であり、思想とはなり得ないものである。

 確か三好達治もよく似たことを書いていました。読んだ詩に対して我々はそれを丸ごと呑み込むしか方法はない、という内容だったと思います。

 さてそんな詩人中原中也ですが、この度本書を読んだついでに昔買った角川文庫の『中原中也詩集』をぱらぱらとめくってみたら、多くの詩に読んだ覚えがあることに気づきました。私は発刊された二つの詩集『山羊の歌』と『在りし日の歌』を読んでいたんですね、すっかり忘れていましたが。

 そういう風に思い出していくと、そう言えば大学時代、中原中也がテーマの講義を取っていたこと、またその頃の友人に中也好きがいて(複数名)、何度か酒を飲みながら中也詩について語り合ったことなどを思い出しました。

 しかし今に至るまで、顧みますれば実に貧弱なわたくしの詩理解と詩嗜好において、中也がフェイヴァレットだったことはたぶん一度もありません。
 私は、自らの貧弱かつ尊大な詩理解によって、中也は例えば朔太郎や白秋とは並び得ないだろうと思ってきました。

 確かそのころ読んだ詩人の山本太郎の、中也詩はほぼ北原白秋の詩の傘下にあるのではないかといった文章を読んで、大いに納得した覚えがあります。(今思い出してみると、この記憶は反対で、山本の文章を読んだから中也詩をそう評価するようになったのかも知れません。)

 でもこの度久しぶりに中也の詩を読んで、とにかく中也詩は短いフレーズが実に執拗かつ強靱に読者の心に残り続けることに感心しました。例えば、こんな感じ。

 「手にてなす なにごともなし。」
 「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました」
 「これが私の故里だ さやかに風も吹いてゐる」
 「なにゆゑに こころかくは羞ぢらふ」
 「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けませう。」
 「海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。」
 「シュバちやんかベトちやんか、」
 「さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました…」
 「また来ん春と人は云ふ」


 詩集をぱらぱらさせながらこうして抜き出していくと、暗記している短いフレーズが切りも無く挙がってきます。抜き出すに当たってあまりに有名な個所はわざと外すつもりでしたが、にもかかわらずどんどん目に耳に付いてきます。改めて全くすごいものですね。

 何故そうなのかは、何となく思いつきますね。
 それは中也詩の多くが、日本語に何故かぴったりとフィットする五七調(七五調)のフレーズだからですね。
 実はこんなところが、若き日の私は嫌いだったんですね。非芸術的な気がしていました。
 しかしそんな部分について、本書にはこんな記述があります。

 (略)童謡は十八歳の中原に自然な口調だったに過ぎないと思われる。中原には何処か大人になる暇がなく齢を取ってしまったようなところがあったから、童謡調はずっと彼の詩について廻り、中原独特の形に完成されて行ったと考えたい。

 彼は詩人として当然であるが、いい耳を持っていた。翻訳語に限らず俗語から響きのいいものを選んで、自分の詩にはめこむことも知っていた。何よりもこれは朗誦し易く、歌いよい詩であった。

 ……うーん、なるほど。
 こんなことを書けば、中也ファンには叱られるかも知れませんが、中也が今生きていたら、彼は一流の流行歌の作詞家になっていたかも知れませんね。
 次回に、続きます。


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Last updated  2017.02.03 17:35:38
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