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2017.02.12
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  『中原中也』大岡昇平(講談社文芸文庫)

 前回の続きです。
 前回は中原中也について、私が若輩で愚かだった頃の(今でも十分愚かなままですが)、中也詩体験について書いてしまいました。すみません。
 でも今回もあまり変わらないような内容になりそうで、重ねてすみません。

 さて、筆者大岡昇平は本書の基本のテーマをこの様に書いています。

 中原の不幸は果して人間という存在の根本的条件を持っているか。いい換えれば、人間は誰でも中原のように不幸にならなければならないものであるか。おそらく答えは否定的であろうが、それなら彼の不幸な詩が、今日これほど人々の共感を喚び醒すのは何故であるか。

 どうですか。この表現の中には、筆者ののっぴきならないほど強烈な中原中也への思い入れがあると共に、中也に対するかなり屈折した尋常ならざる感情が含まれていることが読み取れ、少し驚くほどです。

 というのも、本書にも再三、一緒に時と場所を同じくして付き合う生身の人物としての中原中也を、うんざりだと感じている複数名の証言が書かれています。
 例えば、小林秀雄による文章。

 私はN(中也のこと・引用者注)に対して初対面かの時から、魅力と嫌悪を同時に感じた。Nは確かに私の持つてゐないものを持つてゐた。ダダイスト風な、私と正反対の虚無を持つてゐた。しかし嫌悪はどこから来るか解らなかつた。彼は自分でそれを早熟の不潔さなのだと説明した。

 ……しかしまー、小林秀雄は長谷川康子を間に挟んで中也の生涯に最大の影響を与えた「三角関係」の当事者でありますから、上記の文章もいろいろ足したり引いたりして読まねばならないかも知れません。
 一方下文は、中也が小林秀雄について書いた辛辣きわまりない文章を引用した後に書かれた部分です。

 河上徹太郎は全集だけを読んで、好きなだけ中原を愛せる人が羨しいといった。ここにその見本がひとつあるわけだ。読者はここに書いてあるようなことを、面と向っていわれるのを想像してみればいいのである。そういう目に我々は始終中原に会わせられて来たのである。
 ここには人間味がないばかりか、真実も一つもないのである。部分的に当っているところもあるかも知れない。しかし全体の組立が間違っているから、部分も歪んで来る。嫉妬と羨望があるだけなのである。孤独の裡ではあれほど美しい魂を開く人間が、他人に向うと忽ち意地悪と変る、文学者の心の在り方の例の一つが示されているわけである。

 また、別の個所にはこんな表現があります。

 世の中の多くの馬鹿のそしりによって祈ることを知ったというのには、いつわりはないにしても、馬鹿者を嘲笑するのが中原はうまかった。奇妙な物真似の才能にもめぐまれていて、「酒をのみ、弱い人に毒づく」のは始終だった。深夜の個室では「孤独の肌に唾吐きかけて、/あとで泣いたるわたくしは/滅法界の大馬鹿者で」と反省し、「かくまで強く後悔する自分を、なぜ人は責めなければならないのか」と食ってかかったりする。そういう風に自分を被害者に仕立てるのは彼の詩法の一部で、ほんとうの被害者は世の馬鹿者の方だった、という河上徹太郎の指摘は正しいのである。


 ……私は上記の文章を読んで、酒の席で中也が太宰治に絡んできて、太宰がたじたじになりながらも、ぎりぎりの面目をほどこした有名なエピソードを思い出しました。

 結局の所、人生の中でしかも青春期に、この様な強烈な人格の知人を持つ経験というものが、本人にどれほど拭い難い影響を残し続けるのかの例として、本書は読めるのかも知れません。
 そう感じるくらいに、筆者の中原中也へのこだわりは微に入り細を穿って激しく、そしてその正体を曝かずにはおかないといったような少し歪な執念深さが感じられます。

 ではさらに、そんな青春群像が本書に魅力的に描かれているかというと、私には残念ながらそうは読み切れなかったです。
 それは、中也も小林秀雄もそして筆者も含めた文学者達の若き日々の描かれ方が、筆者自身によって驚くほどに痛ましく不毛にまとめられてあるからだと私は思います。

 本書が小説ではなく評伝という形を取っているのがその主な理由でしょうが、描写ではなく客観的にまとめて説明しようとするほどに、そこには身も蓋もない未熟であることの愚かさだけが残ります。
 いえ本来は、未熟であることは、大いに魅力的な要素を備えてるはずでありますのに。……。


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Last updated  2017.02.12 07:42:21
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