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2017.03.05
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カテゴリ:昭和~・評論家

  『漱石とその時代・第二部』江藤淳(新潮選書)

 ちょっと本ブログを遡って見たら、冒頭の書籍の「第一部」を私は2015年11月に読んでいることが分かりました。その時すでに「第二部」も買ってあると書いてますから、1年と2ヶ月間放ったらかしてあったということですか。……うーん、でもこういう事って、普通にありますよね。よーするに「積読」ですよね。1年2ヶ月なんて、ぜんぜーん大したことないですよねー。

 ということで、少々の(少々じゃないかも知れませんが)ブランクの後に、本書を読んでみました。
 「第二部」とあるので、冒頭に何か「第一部」のまとめとかあるのかなと思えばそんなのは全くなく、2冊の目次を比べてみたのですが、ごくふつーに当たり前のようにかつ無愛想に、2冊はつながっていました。

 「第二部」本書は、「第一部」の終わり熊本時代の漱石の続きから始まり、例のロンドン行き(この体験が本書の中心ですね。そして、小説家漱石誕生の核でもあるそうです)、そして最後はやっと、「やっと」、『猫』の執筆が始まったところまで来ました。
 『猫』の執筆と「ホトヽギス」への掲載に触れた本書の最後の一文は、ここまでやっと来たという感じが読んでいた私の中に起こり一人勝手に感動的でしたので、少し引用してみます。

 虚子がこの原稿をたずさえて子規庵の山会に出たときには、定刻を大分すぎていた。参会者一同は虚子が朗読するのを聴いて、「とにかく変わっている」と異口同音に讃辞を呈した。『吾輩は猫である』は、「ホトヽギス」明治三十八年一月号に掲載されることに決った。そのとき文科大学講師夏目金之助は、誰にも、おそらく彼自身にも気づかれぬところで、作家夏目漱石に変身していた。

 いかがですか。上記に私は「一人勝手に感動的」と書きましたが、こうして書き写してみると、筆者江藤淳の感情も少々高ぶっていることが分かる文章ですね。
 だって少し極端に言えば、近代日本文学史にこの人しかいないと言い切っていいような国民作家夏目漱石の誕生の場面なのですから。

 という風に私は一応本書を読み終わったのですが、実は本書の内容と微妙に重なるような重ならないようなところで、一つ疑問を持ってしまいました。
 それは、今、漱石を「国民作家」と書きましたが、現代に至るまで漱石が「日本人の師」の如く読まれている理由についてです。
 (「国民作家」といえば、司馬遼太郎を浮かべる方もいらっしゃると思いますが、「日本人の師」的な側面は、この方の方が多いような気がしますね。なにせ多くの作品の中で恐ろしいような高い質と量で「歴史観」と「蘊蓄」を語っていらっしゃいましたから。)

 先日もテレビで漱石が取り上げられていた番組を見たら、やはりそんな「日本人の師」的な論調でした。
 また、去年今年と二年続きの「漱石イヤー」であるせいでしょうが、漱石の文章や言葉の中から人生論的なものを抜き出して解説する類の本が何冊が、私の目にも留まりました。

 私の抱いた疑問は、少し漠然としすぎていて本書の内容とは直接関係を持たないとは思うのですが、そもそもなぜ漱石は今に至るまで「日本人の師」の如くいわれるのかというものです。

 例えば『三四郎』が始まってすぐの汽車の中の場面に「広田先生」が登場して、「これからは日本も段々発展するでしょう」と述べた三四郎の言葉に、「亡びるね」と返しているシーン。
 この場面が朝日新聞に掲載された明治41年から37年後、確かに日本国は二発の原子爆弾を落とされて見事に崩壊しました。

 そういった社会批判的な記述は、確かに漱石作品の中に描かれてはいますが(よく言われるように特に前期作品の中に多いですね)、漱石自身の作品テーマの中心は、後期うって変わって自らの心の中の「エゴイズム」を深く剔っていくものとなりました。

 これは私の勝手な読みなのかも知れませんが、それらの作品を書いた偉大なる漱石とは、作品を通して日本人の生き方を導いてくれる「師」としての漱石ではなく、「エゴイズム」を描く卓越した小説技術者としての漱石であるとしか思えないのですが、どうでしょうか。
 私の漱石理解は偏っているんでしょうか。
 ……うーん、なかなか難しいものであります。

 ということで、今回も殆ど冒頭の書籍の内容に触れることができなかったのですが、えー、すみません。次回に続きます。


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Last updated  2017.03.05 11:48:43
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