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analog純文

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2017.10.14
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カテゴリ:昭和~・評論家

  『現代文学論争』小谷野敦(筑摩書房)

 この筆者の書籍は、実はわたくし今までに数冊読んだことがあります。
 しかしはっきり言いまして、……うーん何といいますか、なんか、こー、感覚的についていけないと感じる部分がありました。もう少し具体的に言いますと、いえ、ちょっと言葉を選ぶんですが、まー、よーするにー、少し品位というものが不足してやしないかな、と、まぁ、ちょっとだけ思ったりしていました。

 でも思うに、筆者はそんな意見が出るかも知れないことくらい十分承知の上で、むしろそんな意見に対して、自分だけカッコつけるんじゃないよくらいの感覚を持って書いているのだと思います。

 ということで少し怯む部分の気持ちを筆者に持ちつつ、しかし一方で筆者がものすごくエネルギッシュに文学研究をしている(すごくボリュウムのある作家評伝を立て続けに何冊か出版していらっしゃいます)ことには、感心させていただいておりました。

 という感心部分を期待しての本書の読書であります。
 ……が、さてこれも、うーん、……でもさらに遡ってよく考えますれば、わたくしは以前より、人間はいくら討論をしても自説をそう簡単には変えるものではないという「自説」を持っておりました。それはテレビの討論番組なんかを見て思ったのですが、その上、「文学」(客観的評価などそもそもできるのかという「文学」)とくるのですから、落ち着いて考えれば、稔りあるものが期待できると思う方がおかしいくらいのことは読む前から分かっていてもいいはずでありました。

 というわけで「文学論争」を読んで、文学論に稔りがなければいったい何が残るかと言いますと、それはもう「文壇ゴシップ」だけといってもいい、と。
 そして私は、上記に「品位」がどうのこうのと書いておきながら、実はさほどその手の話が嫌いなわけではない、と。(ただそんなのばかりずーっと読み続けますと、さすがに何かが少し違っているんじゃないかという感覚と、ぐったりした疲労感が出てきます。)

 そんな中でゴシップから少し離れて(あまり離れているわけでもないですが)、本書中少し面白かったのが、文学研究の方法として一時期かなり流行ったと聞く「テクスト論」批判であります。
 「テクスト論」については私は、石原千秋の文章で、作品(テクスト)から作者の姿を追い出す、そしていかなるテクストも誤っていないことを前提に解釈していくという研究姿勢であることなどを知りました。

 この姿勢もはじめはなかなか面白そうだと思ったのですが、少しずつ詳しくその世界に入っていくと、なんかすごい違和感が生まれてくるんですね。
 それは例えば、本書では漱石の『こころ』の後日談の話、つまり「先生」が自殺した後、学生の「私」は未亡人となった先生の奥さんと結婚するか否かという「論争」が取り上げてあり、最後にこういう風にまとめてあります。

 ものすごくバカバカしい情景であると言わざるを得ない。大の大人が、たかが小説の、しかも書かれてもいない「後日談」について、学術雑誌の上でかくのごとき「論争」を展開しているである。まさに「空の杯でのやりとり」であって、江藤淳などが一顧だにしなかったのも当然であろう。
 ここには「作品論」とか「テクスト論」とかいうものの、根本的なバカバカしさが表れている。だが残念ながら、私を含めて、当時の若い、愚かな文学研究者たちは、けっこう真剣にこういう議論を読んでいたのであって、それらは「ニューアカデミズム」とか「ポストモダン」とか「フランス現代思想」とかの、根本的なバカバカしさ、非学問性の象徴であると言えるだろう。


 本書の別の個所には「テクスト論」による森鴎外の『雁』評論も少し書いてありますが、これなどは思わず噴き出してしまう解釈です。
 それは『雁』の、一人称で書かれているはずの描写が崩れているという、わりと有名な部分のことです。ここ、面白いので、ちょっと引用してみますね。

 (略)しかも、テクスト論は、その後完全に破綻した。森鴎外の『雁』は「僕」という男が書いたことになっており、これは帝国大学の学生で、岡田という、やはり学生の友人と、高利貸の妾であるお玉という女との交情を描いている。ところが途中から、高利貸とお玉の喧嘩や、それがセックスで和解に至る過程などを細かく描いており、なぜ「僕」がそんなことを知りうるのか。竹盛天雄・早大名誉教授はこれを、「僕」がのち高利貸となって、その主人から話を聞いたのではないかとしている。

 ……えー、吹き出しませんでしたか。私は思わず笑ってしまったのですが。
 というわけで、「現代文学論争」は、ほぼ不毛です。これを学問というのはかなり恥ずかしいという気がします。

 ただわたくしは、こんなブログをやっていることからも分かるように、まー少しカルティーな感じの「純文学」趣味の者なので、スノッブなゴシップも含めて、少し疲れはしましたが、まずまず楽しく本書を読ませていただきました。


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Last updated  2017.10.14 07:26:39
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