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2017.11.11
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カテゴリ:昭和期・後半男性

  『日本文学盛衰史』高橋源一郎(講談社文庫)

 今年もいよいよ終盤になり、漱石イヤー2年目も終わろうとしている、そのせいでもありませんが、なんとなく漱石関係の文芸批評をあれこれつまみ食いをしながら読みました。(ところで次回の漱石イヤーは、やはり約50年後なんでしょうかね。なんか少し寂しい気がしますね。……べつにしませんか。)

 読んでいたのは本ブログに取り上げた作品以外に、小谷野敦、石原千秋、関川夏央といった方々の文章を集中的につまみ食いしました。
 しかし実際、世界は平和や経済について混迷の度合いをますます深める21世紀前半に、こういった文芸評論のたぐいを続けて読むと、非現実的な気分をはるかに通り越して、なにかアブノーマル、変態的な思考のような気がします。
 世間に背を向けて生きるのもなかなか大変なことです。はは。

 さて、その「仕上げ」が本書です。講談社文庫658ページであります。再読です。
 ……うーん、しかしこれは、いかにも長い。この著者には類似テーマの『官能小説家』とか『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』とか、これまたやたらと長い作品がありましたが、今回も長い。2回目読んでもやっぱり長すぎる。

 作者も相当疲れていると思われますが、それもそのはずで、そもそもが文学なんていう「結論」の出るはずもないテーマをずっと考え続けるわけですから(それに高橋源一郎という方は、私生活についてはそうなのかどうかは存じませんが《クグるとなかなか興味深そうな私生活がいろいろ書かれてありましたが》、こと文学に関してはとても真面目な方です)、疲れるはずでそれが高橋作品の中の例の「ナンセンス」になるんじゃないかと思います。

 例の「ナンセンス」とは例えば本書で言うと、二葉亭四迷の葬式で夏目漱石が森鴎外に「たまごっち」をねだるなんて場面のことです。
 わたくし思うに、これは手塚治虫漫画の中の「ひょうたんつぎ」や「オムカエデゴンス」ってヤツですね。作品内の真面目圧力がかなり高まった時の「ベント」ですね。(「ベント」って言い方は少しよくないですかね。例の原子力発電所事故で人口に膾炙した用語ですものね。)

 (さらに少しだけ付け加えますが、えらいもので本書は1997年から書き始められ2001年に刊行された作品ですが、真面目に語った部分は全く古びていないにもかかわらず、こういった「ナンセンス」部は無残なくらいに古びています。他の「ナンセンス」部分も大同小異で、ひょっとした筆者の「ナンセンス」センスは、あまりよくないんじゃないかしら……。)

 しかし、田山花袋がAV監督になるというエピソードは「ベント」ではありません。
 実は私は、この長い小説の中で、田山花袋と漱石の『こころ』の2つのエピソードが印象に残りました。この2つを少しだけ以下に紹介してみます。

 花袋がAV監督になるというのは、花袋の自然主義についての信条「露骨なる描写」の敷衍を真剣に考えた結果なんですね。
 そもそも高橋源一郎はAVへの文学的興味を描いた作品が他にありますが、花袋の『蒲団』の主人公の女弟子に対する感情を徹底的に「露骨なる描写」していくと、行きつくところは人間の考えうるあらゆる性的嗜好何でもありのAVに到達することは、まぁ、当然といえば当然であります。
 ただそこに広がるものは不毛以外の何物でもなく、寓話としてはとても興味深く読むことができましたが、得たものは殺風景なものでしかなかったのが少し残念でした。

 もうひとつの漱石『こころ』のエピソードですが、これはなかなか巧妙に書かれています。
 なんでもありーの高橋源一郎ですから、最初は小説ではなくて文芸評論的に展開していきます。このエピソードは文庫60ページくらいの分量がありますが、冒頭から半分くらいまでが文芸評論的に進んでゆき、そこから小説描写がカットバックされて最後は二人の有名な文学者による会話描写で終わっています。

 このエピソードで筆者が述べているのは、『こころ』の「K」のモデルは誰であったかということ、もうひとつは「K」の意味であります。
 まず「K」のモデルですが、筆者は石川啄木がそうだと書いています。この結論に至るプロセスはなかなか興味深く、また本書には啄木の姿が様々なエピソードに点在していて、それなりの説得力を持ちます。

 そして「K」の意味ですが、筆者はこれを『こころ』の不思議な伏線から説き起こします。『こころ』の不思議な伏線とは、作品冒頭のこの部分です。

 私は最後に先生に向って、何処かで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時暗に相手も私と同じような感じをもっていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟したあとで、「どうも君の顔には見覚がありませんね。人違じゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。

 筆者は、ここの伏線は作品の中でまったく回収されていないと指摘するんですね。そしてこの「極度に思わせぶりの書き方」の原因は何かと探っていくのが、このエピソードの眼目です。

 ここを読みながら私は思い出したのですが、我が家に『漱石の実験』松元寛(朝文社)という本があるのですが、なぜこの本があるのか忘れていたのですが、この高橋作品で触れられてあったのでたぶんネットで買ったのでした。
 それは、思わずネットで注文してしまうスリリングな展開でありました。
 (松元氏の本についても少しだけ書きますと、例えば『こころ』の「先生」の自殺理由がよくわからないのは、「先生」が「私(青年)」に本当の自殺の原因を隠しながら遺書を書いたからだと喝破するというとても興味深い内容でした。)


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Last updated  2017.11.11 12:13:33
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