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2017.12.10
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カテゴリ:昭和~・評論家

  『おじさんはなぜ時代小説が好きか』関川夏央(岩波書店)

 城下には日々剣術の稽古に心を鍛えながら、袴の折り目も真っ直ぐに、すばやく歩み去る若い武士がいます。たゆまず家の仕事をこなしながら、天地を恨まない女たちがいて、堀割を流れくだる水のように清涼な印象の娘たちがいます。町家の居酒屋に集って、一匹の冬の鰊を三人で分けながら、卵を抱いたいちばんおいしいところを譲り合う老いた武士たちがいます。
 そういう人たちが住む世界はある種のユートピアです。そのユートピア性は、彼らが歩む道、彼らが渡る清流の橋が百年かわらないと頼もしく思われる気持からもたらされます。


 いかがでしょうか。この文章は本書の、藤沢周平について書かれた部分から引用しましたが、いかにも時代小説の「ユートピア」性が、読んでいて羨ましいばかりに書かれていますね。

 そもそも本書は、タイトルから想像されるとおり、時代小説の良さを説こうというテーマの本ですから、まぁ、これくらい褒めていたってまず全く「問題」はありませんよね。
 その本が人間世界のどんな現象を取り上げたものでも、褒める(よく知らない人にその世界の素晴らしさをレクチャーする)というテーマに絞って書かれていれば、きっとこうなります。
 例えば、『素晴らしきプロ野球の世界』『アマゾン礼賛』『インナーウェアの誘惑者たち』『宮大工が語った』『お天気お姉さん万歳』等等……なんてどうでしょう。

 という風に、まず考えて読みます。つまり、手放しで褒めるのオッケーが前提です。
 では次に、何について褒めているのか、これをちょっと考えてみます。
 まず、こんな記述から。

 司馬遼太郎は自己憐憫や卑下自慢を性として嫌っていましたし、その憐憫や自慢の対象となる「私」を軽んじていました。つまり「私」なんかちっとも大切ではないということです。したがって「私」のなかにあると認定された文学的「内面」の存在をも疑っていました。「内面」などない、または「内面」などいらないというのです。

 もし『蝉しぐれ』が時代小説でなかったら、ちょっと恥ずかしくて読めないかも知れません。ところが時代小説ならすらすらと読める。ばかりか、さわやかに読める。それは「内面」というものが描かれていないからです。作者自身が「内面」を信用していないからです。

 ……なるほど、時代小説のユートピアを第一に保障しているのは「自我」の否定であるというわけですね。そういわれると確かに納得ができそうにも感じます。
 しかし自我を否定した個人は、代わりの何に精神的に依存して生きるのでしょうか。それについては、既に冒頭の引用文にも書かれてありましたが、筆者はこう説いています。

 歴史小説から史伝に移った晩年期、鴎外は学術文化の伝承ということを考えました。(中略)やがて『渋江抽斎』を書きました。とうに死んでしまった江戸の知識人と鴎外は、学術文化への態度や趣味でつながっています。またその線上には多くの有名無名の人があらわれては消えていきます。それらの人々の歴史的な営みの末端に自分はあり、死者とのつながりのなかで自分は安定した境地が得られるのだ、と鴎外は考えたのでした。

 冒頭の引用文の「彼らが歩む道、彼らが渡る清流の橋が百年かわらないと頼もしく思われる気持」と基本的に同じですよね。一種の歴史性に依拠した「諦念」でありましょう。

 そして一方で、筆者は時代小説に定番の批判については、こんな風に「居直り」ます。

 人が「義理と人情は古い」とか、「あいつは浪花節だね」というとき、それは古さをばかにしているわけですが、なぜ義理や人情や古さがばかにされるようになったのかと思います。
 (中略)学校へ行くのも就職するのも義理ではありませんか。恋愛や親切は人情ではありませんか。お世話になった人からの頼みは断りにくい。そこには義理と人情の相克がありましょう。現代も人の世は、義理と人情を軸に回転しているでしょう。「トラウマ」で壊れた人ばかりの世の中になれば、義理も人情も無用ですが、その場合、世の中そのものもなくなってしまいはしませんか。


 ……えっと、今回は少し引用だらけの内容となってしまいました。
 時代小説の「肝」を筆者は「内面の否定」と分析していることについて、なるほど大いに納得しつつ、しかし、内面を否定された登場人物ははたしてどのような規矩のもとに実際行動するものなのか、そしてそれは本当の「ユートピア」なのかなどを、次回もう少し考えてみたいと思います。

 ……えー、続きます。すみません。


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Last updated  2017.12.10 14:36:41
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