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analog純文

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2017.12.17
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『おじさんはなぜ時代小説が好きか』関川夏央(岩波書店)

 
 前回の続きです。
 前回私が本書から取り上げて報告していましたのは、例えばこんな箇所です。
 
 (前略)古風な道徳に殉ずる覚悟を持つ者は「近代的自我」の束縛から自由です。そういったことが私たちの好感を誘うのは、不思議なようでいて、自然です。
 
 おじさんと時代小説の相性のよさは、たしかに「保守化」と関係があるでしょう。しかしその根底には「人間は進歩しない」という経験的確信があります。生活は便利さを刻々と増すが、それは人間の質や幸福感の向上とは何ら関係がない、という苦い認識です。
 
 ここで指摘されているのは「ユートピア小説」としての時代小説、そして時代小説が「ユートピア小説」である理由は、人間の内面(=自我)をテーマにはせず、人間社会の永続性をへの信頼を基盤としているからであるという事が描かれているとわたくしは理解しました。
 
 つまりそんな展開の許、筆者は見事に時代小説の「応援団」を果たしているということであります。いえ、これで納得していいのだとは思います。
 でも、ややこしいことの好きなひねくれた難儀な性格の私は、ふとこんな指摘にも目がいったりします。
 
​ 義理や人情は現実にいまでも私たちの原理として生活を律しているのに、なぜか現代文学では扱いません。そして不思議なことに、それを扱ったら恥ずかしくて読めないものになってしまう。やはり、「人間は不純である」したがって「私も不純である」という現実認識や、「不純であってなぜ悪い」という居直りが現代文学の背骨をつらぬいているからでしょうか。しかし時代小説になるとなぜか恥ずかしくなくなる。この謎はきちんと解かれてしかるべきだと思います。​
 
 少し屈折した指摘のように読めます。(それは多分途中に、言わずもがなの現代文学に対する非難めいたニュアンスの表現が入っているからでしょう。筆者は時々こんな近親憎悪感情を書くようですが。)
 
 簡潔に言えば、時代小説になぜ義理人情はマッチするのか、ということでしょう。
 あまり「謎」という感じはしないのですが、もしそれが謎であるならばと、わたくしも考えてみたので、ちょっとその私見を書いてみます。
 
 象徴的に述べればそれは、そこには刀を常時持っている人たちがいるからではないでしょうか。
 詳しくは覚えていませんが、確か『葉隠』の中にも、武士は迷ったらとにかく死ぬことが肝要だとあったように思います。常時刀を持っていると言うことは(もちろんそれは武士だけですが)、人を殺す自分、人に殺される自分、そして我が腹を切る自分が極めて身近な未来として想像できる(想像すべきであるというのが武士の心得)ということでありましょう。
 
 このことを「人命軽視」と指摘するのは、とんでもない見当違いでしょうか。過去を現在のモラルで断罪する愚でありましょうか。
 
 本書にも取り上げてある森鴎外の「殉死三部作」は、死ぬことで生きるというテーマではありましょうが、次々に簡単に人が死んでいく様は、やはり人命軽視文化の現れとも思います。
 
 これも本書で少し取り上げている山田風太郎の一連の「明治小説」の中に、確かこの時代の人命軽視は明治という時代がやはり一種の地獄のような時代であったという指摘があったように思います。
 
 さらに連想は飛躍するのですが、ふと思いだした小説として、岩井志麻子の『ぼっけいきょうてい』という短編集に描かれた昔のある地方の庶民の人生には、マイノリティー(例えば両親がいないこと、貧しいこと、身体に障害があること、さらには女性であることなどの、様々な社会的弱者であること)な人間の運命に訪れる圧倒的に残酷な人間性の完全否定が、ホラー小説としてオカルティックに露悪的にどろどろと描かれています。
 
 いえ、わたしは何も「ないもの買い」をしようというわけではありません。
 それこそ「言わずもがな」な指摘をしただけなのかも知れません。
 
 ただ、上記に筆者が少し意地悪をいった「現代文学」の主なるテーマには、それこそ筆者の「謎」の指摘の解決に向かって奮闘している文学者が数多くいると言うことを、ちらりと思っただけであります。
 
 
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Last updated  2017.12.20 06:43:15
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