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2018.02.03
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カテゴリ:昭和~・評論家
  『谷崎潤一郎伝』小谷野敦(中央公論新社)


 少し前に同じ筆者の、大江健三郎と江藤淳を比較しながら論じた本を読んだのですが、それに比べると本書は、……うーん、あまり面白くなかったような気がしました。
 でもその主な原因は多分わたくしの側にあって、私はもう少しゴシップめいた展開を期待していたんですね。

 この筆者自身が、作家伝を書く時にかなり意識してゴシップめいた手法を取ることを述べていましたが、本書の場合はなんというか、もう少し「地味ー」に作家伝の基礎研究をなさったという印象で、まぁ、私の感想は木に縁りて魚を求むる類のものであるのでしょう。
 (それに大江健三郎の場合は、自らの思想表明といった興味深い文章を谷崎に比べるとかなり書いていますものね。)

 で、作家伝としての本書ですが、まず筆者は「まえがき」にこんな風に書いています。

 ​作品論でも作家論でもない、谷崎潤一郎という一個の人間像を描いてみたいと思い立つに至ったのである。​

 もっとも、谷崎の生涯から彼の為した文学的業績を完全に外し去ることはできないわけで(それは自明の前提ですが)、仮に可能な範囲でそれをすればどうなるでしょうか。

 筆者は、「自己を信じぬき、時には恐らく何らかの巧妙な策略を用いながら常に第一線の作家として生き抜いた谷崎」「近代日本文学における、傑出した『生』の作家なのである。谷崎の強さは、その『図々しさ』にある。」と述べていますが、結局のところそんな人物を、読者としてどう感じるか(好むか)ということでありましょう。

 ……、あの、ちょっと話が横道にそれるようですが、私はかつて、芸術家と人間性について少し考えたことがありました。あれこれ考えて思い至ったのは、芸術には音楽や絵画のように芸術的才能が単独かつダイレクトに作品に表現されるタイプのものと、文字芸術(文学)のように、一端理性(文字という抽象的なフィルター)を通過して初めて作品ができるタイプのものがあると考えました。

 そして前者は、芸術性と人間性の間に因果関係は低く、後者は相対的に高くなると考えました。つまり文学は、その芸術性が高いほど、作家の人間性の高さと連動せずにはいられないのではないかと思ったわけです。

 そんなことを考えたのですが、確かに谷崎は、例えば夏目漱石などと比較した時、やはりかなり取り上げているテーマが限定された作家だといわざるを得ないように思います。

 一方、これも少し脇道めきますが、先日吉本隆明のエッセイを読んでいたら、太宰治の『駆込み訴え』がかなり高く評価されていました。いろいろ書いてありましたが、こんな表現がありました。

 ​人間の倫理性をそうやって自由に軽々と飛び越えるのが、文学のやり方なんです。悪いこともいいこともわけへだてなく、人間の持っているものを全部出しちゃうというのが文学の究極の理想でね。役になんか立たなくたっていい、善悪とか倫理とかあらゆる制約から自由なのが、文学ってものだと僕もそう思ってはいるんだけれど、そこが難しい。​

 文学そのものについては、わたくしも全くそう思うものであります。

 さて、話を谷崎に戻して、今度はもう少しゴシップめいた挿話を引用してみますね。
 『秘本谷崎潤一郎』なんて言う本があるそうで(筆者は稲澤秀夫、全五巻)、本のタイトルだけで既にわくわくしそうですが、期待に反せずいろいろ書いてあるようで、例えば、

 ​この四月下旬、(谷崎と二人目の妻丁未子の)新婚旅行を兼ねて、谷崎夫妻、妹尾夫妻、佐藤夫妻と根津松子とで室生寺から道成寺へ旅行したが、室生寺に泊まった夜、谷崎と松子が抜け出して、抱擁を交わしたというのである。​

 (自分の新婚旅行で、別の人妻と抱擁を交わすかな。そもそもこの旅行の人選が異常すぎますが……。)

 ​『京都新聞』昭和二十二年十月十七日の記事で、谷崎家を解雇された女中が、その後無断家宅侵入で逮捕された、とある。この女中は前年六月から雇われ、松子と合わずに解雇されたとあり、(中略)谷崎の膝の上に乗っているのを秘書の末永が目撃した、とあり、解雇されたのは松子がそれを嫌がったからだとされている。​

 (まぁ、『瘋癲老人日記』の作者ですから、別に、まぁ、ねぇ。)

 ……うーん、と、いかがなものでありましょう。
 もちろんこんなところだけで判断するのは早計というもので、筆者は、全編を通して谷崎への崇敬の念を書いています。例えば、

 ​谷崎が、嶋中宛書簡で、たびたび借金を申し込みながら、その態度が堂々としていることには、解説した水上勉も感嘆しているが、むしろ、『春琴抄』、『文章読本』、そして『潤一郎訳源氏物語』を次々とベストセラーにし、借金生活から抜け出していく歩みは歩武堂々とも言うべく、天才の名に恥じない。​

 もうかなり昔に読んだきりなので、正確な表現は忘れてしまったのですが、モームの『月と6ペンス』の中に、ゴーギャンを模した主人公について、才能を持って生まれたものには独特のその重みによる生きづらさがあるといったことが書いてありました。

 本書によって私は、亡くなるまでひたすら「女性崇拝」という信仰的な生き方を貫いた谷崎潤一郎の強かさと、ひょっとしたら少しの不安が、読めたように思いました。


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Last updated  2018.02.03 18:07:45
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