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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2018.04.29
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  『晴子情歌・上下』高村薫(新潮文庫)

 ……うーん。………うーん、……。
 …と、えーっと、ときどきというか、けっこう唸り声で報告を始めるわたくしではありますがー、しかし今回の唸り声始まりにつきましては、既に本書をお読みの方はきっと、あー、さもありなん、とご納得いただけるのではないでしょうか。
 何と言いますかー、唸らずにはいられないような本書であります。

 なぜ唸らずにはいられないのかと申しますと、例えばわたくしの読書人生において、まぁ確かに、やや貧弱な読書人生ではありますが、それでも虚仮の一念で、アラウンド40年になんなんとする読書人生の中で、たぶん本書は一番読み終えるのに時間がかかった小説ではなかったかと思います。(大体同じくらいの長さの小説を比べて、つまり例えば円地文子現代語訳『源氏物語』なんかは比較対象とせずということですが。)

 本書は新潮文庫上下2冊で合計840ページほどですが、これくらいの長さの小説は、おそらく私も今までけっこういろいろ読んでいると思いますが、今ざっと思い出すもので、例えば、北杜夫『楡家の人々・上下』、水村水苗『本格小説・上下』、司馬遼太郎『空海の風景・上下』、あ、司馬遼太郎はこれ以外にも一杯ありますね、一杯あるといえば、村上春樹の長編小説群なども……と、挙げていけばキリがないかもしれませんが、そんな中で一番時間が掛かかりました。

 なぜ本書の読破はそれほど時間が掛かったのかの分析は後にして、逆に例えば上記に挙げた本などはなぜさほど読み終えるのに時間が掛からなかったのかといいますと、これはまぁ、簡単ですか。
 面白かったからですね。一気呵成。一瀉千里。
 村上春樹の小説なんて、「ワン・シッティング」って言いますものね。一度腰掛て読み始めたら最後まであれよあれよと読んでしまうというほどです。

 そして、もう一つ、これは表に出てこないケースですが、実は読み始めたもののしかし読み淀んで読み淀んで、とうとう読みそこなってしまう読書がいくつかあって、これは結局読破に時間が掛かった小説の中に含まれないからであります。

 これはいわゆるところの「けつ割り」ですね。
 私の、むかーしに「けつ割り」していまだに忘れられない小説は、ハーマン・メルヴィル『白鯨・上下』新潮文庫です。上巻を何とか読み終えてそのまま「けつ割り」しました。(後日思いがけなくも、『白鯨』が大学英文科の卒論だったという男に出会いまして、「せっかく上巻が終わったのにもったいない。あの小説は下巻から俄然面白くなるのに」と言われ、切歯扼腕したことを思い出します。)

 さて何をお前は書こうとしているのかと問われそうでありますが、冒頭の唸り声の原因、本書の読書感想でありますが、それは結局上記2点の逆感想という事ですね。
 つまり、集中して読み進めるにはあまりに面白くなさすぎ、しかしほっぽりだすには、妙に未練が残った、というのが正直な私の感想トーンでありました。

 (本書をご存知の方はもちろんこのこともご存じでしょうが、本小説は3部作で、本書だけでは実は三分の一を読んだに過ぎないという事であります。)

 そしてほっぽりだすには未練が残るという私の感想は、一種「やけくそ」のようにも感じる筆者のこれでもかこれでもかという書き込みについての疑問でもありました。

 かりにもかなりベテランの小説家である筆者ですから、自分の書こうとしている小説がふさわしい長さなのか、その時々に面白い展開を読者に提供しているのかについては、きっと自認していると思います。
 で、そのうえでの本作の「異常」な長さと面白なさは、いったい何なのかという問いが、私はかなり気になったという事ですが、終盤にこんな表現を発見しました。

 ​百万の言葉を習っても人ひとりの骨の音は実際に聞かねば分からねえ。それが言葉というものの正体だ。いくら積み重ねても言葉は言葉だ。戦前もそうだったし、戦後の安保も三池もそうだった。右にも左にも、あるのは過剰な言葉だけだ。戦前は戦地への兵隊を送り出した言葉。戦後は労働者に米の代わりに配給された言葉、言葉、言葉だ。希望の言葉。社会正義の言葉。人間の言葉!​

 私は、この言葉への不信感が、この膨大な言葉の群れを作者に意図させたのではないかと感じました。そして更にもう少し終盤に進むと、今度はこんな風に書いてありました。
 ここは、本作の過半の部分を占める、母・晴子が漁船に乗っている息子・彰之に宛てて書いた三百日分もの手紙を読み続けた彰之が、1年ぶりに母のもとに帰って来て、そして母に対する距離感がつかめないと感じるところです。

​ (略)あるいは初めから、距離さえも定まらないほど母と自分の間は不確かでかたちもなかったということなのか。あれだけの量の手紙を読んだ末にやって来た渾然であることから判断するに、答えが後者であるのは間違いなかったが、この期に及んでその不確かな距離をいまはさらに手さぐりしている自分に彰之は驚き続け、その驚きもまた緩やかに上がったり下がったりする波のようだった。実に、どこがどうと特定出来ない身体のかすかな変調の感覚のようであったり、もっとあいまいな予感の一揺れのようであったりする母。何かの波動のように彰之を押し包み、宇宙の膜のように呼吸する母。その母の巨大は質量が周囲の時空をひそやかに曲げており、輪郭は見えずとも、その重力が膜を震わせてひたひたと押し寄せてくる感じだった。​

 ……800ページ以上もある小説を、わずか数行に代表させることはとてもできる事ではありませんが、その力を信じ切ることの難しい言葉を、しかし膨大な「質量」になるくらい費やすことで、それはやはり現実的な何らかの力を発揮するのではないかという思いが、ひょっとすれば読み取れるのかもしれません。

 もっとも、そんな私のちっぽけな「謎解き」とは無縁のところで、本書の持つ強烈な言語空間は、改めて私が指摘するまでもありませんが、現代日本の小説の中で、頭一つ飛びぬけた「力技」であることは間違いありません。


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Last updated  2018.04.29 13:24:59
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