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analog純文

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2018.06.24
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  『転々私小説論』多田道太郎(講談社文芸文庫)

 この筆者の本は、確か高校生になった頃に少しまとめて読んだ覚えがあります。
 本書の解説部に著書目録があるのですが、『しぐさの日本文化』『遊びと日本人』などと言った文庫じゃなかったかなと思い出します。

 あわせて書かれてある年譜を見ていたら出てくる加藤秀俊の著書と一緒に、少しまとめて読んだことを思い出しました。今で言えば、社会学なんでしょうか、その頃そんな「マイブーム」だったのかもしれません。

 しかし、たぶんこの筆者の文学関係の本は読んだことがなかったように思います。
 この方は、仏文学の学者さんなんですね。知っていたようにも思いますし、この度初めて知ったような気もします。
 それは、過去に読んだ本もこの度の本も、全く文芸評論家的な文体ではないと感じたからです。

 文体はかなり個性的、といいますか、とにかくシビアな文芸評論的文体とは全く違います。
 本書解説に口実筆記であるとありますが、それにしても、まるでどこかの御隠居の一杯機嫌の語りの文体という感じです。
 例えば、こんな一文。(太宰治の作品についての文章。)

 だけど「待つ」という掌篇では、一人称じたいが「ぼんやり」しており、「ただもやもや」しているだけ。駅のベンチでひとり座り、ただ「待っている」だけ。
 誰かひとり笑って声をかける。おおこわい、ああこまる。
 人間をきらい、こわい。
 人間の集まった世の中は、あいさつやお世辞ばかりで、こわい。人に逢うのがいやいや。

 ……いえ、この文体は、特に後半は、太宰の「待つ」の作品世界(太宰得意の女性一人称による文体)の引用と渾然一体となっていますが、まぁ、こんな語りです。

 実は筆者は、私小説を論じるにはこんな形のものが最もふさわしいという考えを持っているんですね。次の文は、宇野浩二について述べている部分です。

​ 彼がいちばん好きな西洋の作家はゴーゴリで、『ゴオゴリ』という本も書いています。それも分析が全然ない。「外套」という小説はこうです、「鼻」という小説はこうです、それにはこういうおもしろいところがあるというふうに書いている。このごろの人は、文芸評論を書くと必ず分析になりますが、宇野浩二にいわせれば、それは文芸評論ではなくて、文芸学あるいは文学学だということになります。(中略)学である以上は分析をしなければならない。これは文芸と全然関係がない。宇野浩二は、そういうものを「文学」とは思いたくなかったのではないかと思います。​

 本書が、この轍を踏んでいるのは明らかです。
 そしてこのことが、最初私にはどうもなじめなくって、何だかふざけているような感じがして少し困りました。
 いえ、本当はそんな引っ掛かりは最後まであったのですが、にもかかわらず最後まで読んだのは、その文体による説明が、筆者や作品に対する愛情に裏打ちされた直観から描かれたものだと感じられたからです。
 次文は葛西善蔵について述べた部分です。

 (略)歴史上、被害妄想的と言われてきた人はジャン=ジャック・ルソー。彼は、いろんな人に追いかけられたり、噂でぼろくそにやられたり、かなり被害妄想的なところのあった人のようです。葛西にも同種の妄想があったとすれば、日本の私小説の源流は、世界的には十八世紀フランスのこのジャン=ジャック・ルソーに求めてもいいかも知れません。
 ルソーは人生の最後に言っている。
「こうして私は、この地上に一人きりになってしまった」(『孤独な散歩者の夢想』)
 これにはたしかに日本の私小説に一脈通じるものがある。

 なるほどここには、筆者の御専門の仏文学者が出てきますね。

 本書には、葛西善蔵、宇野浩二、井伏鱒二、太宰治の4名が論じられています。
 私は前の二人の評論が面白いと思いました。井伏氏のは、何だか井伏氏が偉すぎる感じで、太宰治のは、あまりに太宰が好きすぎて(筆者が東大の仏文に進学したのは太宰の後を追ったからだということです)、テレてしまって断片みたいになってしまいました。


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Last updated  2018.06.24 13:30:40
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