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2018.09.15
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​  『壁』安部公房(新潮文庫)

 安部公房が最もシュールレアリストっぽくしていた頃の作品集です。
 かつて私は、文学作品(特に長編小説)にシュールレアリスムは難しいと考えていたことがありました。(今でも基本的にそう思っています。)
 その理由は、言語芸術は「意味」からの離陸が困難だからです。

 そんな「バイアス」で見ますと、この「壁-S・カルマ氏の犯罪-」ほどイメージが飛び跳ねたような、かつそれなりの長さを持ったシュールレアリズム小説(「壁-S・カルマ氏の犯罪-」は本文庫で約130ページです)は、その後の安部公房は書いていないように思います。

 本書の構成を簡単にまとめますと以下の形になります。

  第一部 「S・カルマ氏の犯罪」(130ページ)
  第二部 「バベルの塔の狸」(72ページ)
  第三部 「赤い繭」(4つの短編小説)

 第三部の4つの短編小説もなかなか面白いのですが(かなりテーマがくっきりとした短編小説で、筆者は一時期共産党に入党していたようですが、それっぽい感じの作品群です。でも、イメージの鮮烈さと苦いユーモアはやはりかなり独特なものです。)今回はそれは少し置いて、前の2つの小説(短めの長編と中編)を比べたいと思います。

 「バベルの塔の狸」は「S・カルマ氏の犯罪」の半分の長さですが、私は、こちらの方が作品としての縁取りがくっきりしていると感じました。いえ、それは短い故にそうなのかも知れませんが。

 まず、「S・カルマ氏の犯罪」ですが、これは主人公が名前を失う話であり、名前を失うことで現実社会の中で存在権を喪失するという話です。
 …という風にまとめますと、これは安部公房の全作品に流れる「永遠の不在証明」のテーマそのものであることに気づきます。この後に書かれたすべての公房作品の揺籃が本作だといってあながち誤りでないような、つまり、上記に私は縁取りがくっきりしないと書きましたが、そんなに簡単に輪郭(=大きさ)のはっきり見える作品ではないと言えるかも知れません。

 一方「バベルの塔の狸」ですが、さてこの作品の魅力は何かと考えて私が思い至ったのは、結局のところ「とらぬ狸」の魅力じゃないかということでした。

 作品冒頭で一人称の主人公は、自らを「ぼくは貧しい詩人です。」と自己紹介します。
 そして「ぼく」が考えついた様々な詩的発想物(食用鼠、立体顕微鏡写真、液体レンズ、時間彫刻器、倒立式絞首台、人間計算図表など)が「とらぬ狸」を養い、「とらぬ狸」はついに「ぼく」の影を食べて「ぼく」の体を目玉を残して透明にしてしまい、バベルの塔に連れて行くという話です。

 この一連のストーリーの中で、「とらぬ狸」は、そのシュールレアリスム的な発想力・想像力の素晴らしさをさんざん賛美するのですが、そして最後は、それゆえに「ぼく」を殺そうともするのですが、結局のところこれは安部公房の「詩との別れ」ではないでしょうか。

 言うまでもなく、文学活動の初期に詩との決別をした小説家は、少なくありません。
 島崎藤村もそうでしょうし、中野重治なんかもそんな小説を書いていますね。(これは閑話ですが、逆の形、つまり小説家をやめて詩人になったというケースはほとんどありません。なぜとも思いますし、当然だとも思いますが…。)

 公房と同時代で有名どころのそんな作家を挙げれば、何といっても三島由紀夫でしょう。三島にも詩との別れを扱った「詩を書く少年」という哀愁漂う短編小説がありますが、公房も、散文を本格的に書き出す前に、極貧の中で「無名詩集」という詩集を作っていた、そしてそれは全く評価されなかったのは有名な話です。

 「バベルの塔…」の最後で、「ぼく」は「時間彫刻器」を使って、「とらぬ狸」に影を食べられる直前の過去に戻ることに成功します。
 そして、こんなラストシーンです。

 顔を上げると、アカシヤのしげみの下に、とらぬ狸が坐ってじっとこちらを見ていました。あの朝と、そっくりそのまま同じ具合でした。やがて狸は静かに腰を上げ、にやにや笑いながらこちらに近づいて来ました。
 とっさにぼくは立上り、手帳をまるめて投げつけていました。つづいて手あたり次第の小石を拾ってなげつけました。病的な興奮にかられ、狸が手帳をくわえて逃去った後でも、まだなかなか投げやめることができないのでした。それから急に死ぬほど腹がすいていることに気付きました。もう詩人ではなくなったのですから、腹がすくのが当然なのでした。

 「ぼく」は様々な詩のアイデアが書いてある手帳を「とらぬ狸」に投げつけ、激しく興奮します。
 そして最後に「腹がすく」とありますが、今回私は本書を読んで(多分今まで3、4回読んだと思いますが)、かなりいろんなところに飢えや貧困についての具体的なイメージが散りばめてあることに気付きました。

 それは書かれた時代のリアリズムとしてのものでもあるでしょうが、「腹がすく」ことに意識的になることが、あるいは筆者にとって、芸術上のネクストステージのキーワードであったのかも知れません。

 なるほど、この度本作が安部公房的「私小説」なのだと理解(誤解?)した私は、「とらぬ狸」の魅力と残酷さについても、なんだか身近にしっとりと分かるような気がしました。


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Last updated  2018.09.15 12:02:00
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