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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2018.12.22
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​  『シャッフル航法』円城塔(NOVAコレクション)

 10の短編が収録されている短編集です。
 小説ジャンルについては、ほぼ無意味とは言われながらもそれでも便宜的に続いているジャンル分けで書きますと(だって、純文学と大衆文学の垣根は無意味だともう半世紀近く言われながら、芥川賞と直木賞はかなり「峻別」されています。数少ない文壇からの「社会的発信」だからでしょうね。)、SF小説になるでしょう。

 例えば、表題作の「シャッフル航法」は、コンピューターで(ここは「で」でいいんでしょうね。「が」とまではいってないようです。)書いた作品です。
 確かにジャズのようなリズムがあるし、例えばコンサートでバンドの各楽器演奏者同士が楽器でコミュニケイトしているような面白さがあります。

 しかしこういうのは、何と言いますかちょっとイメージが飛びすぎるかもしれませんが、「工場ウォッチ」みたいなものじゃないでしょうかね。
 また、坂口安吾が昭和初年に「日本文化史観」で述べている、実用性を純粋に追及していくとその先には美があるといったもの、日本刀の美とか民芸品の美しさとかと同じなんじゃないでしょうか。
 もっとも、そんな作品をこの度作ったのは間違いなく筆者ではありますが。

 ……というふうに、わたくし思うのですが、SF小説と純文学の出会いは、なかなか興味深い問題といいますか、「現象」をはらんでいます。

 また例えば、別の短編にはこんな表現があります。

 当然ここで忘れるわけにいかないことには、00もまた観測者を含む宇宙であるからには、不完全性定理に従い、新たに語りえない現実が出現するという点だ。0スペースの内部から見て、既にあらゆる種類の出鱈目を可能とする00スペースにおいても語りえない現実を付け加えた宇宙は、素朴に000スペースの名を与えられることになり、以下同文のなりゆきが、最初の超限順序数ωまで、そしてそこから先へもどんどこ続くことになる。
 イプシロン0。

 私は申し訳ないながら、書かれてあることが何一つ(に限りなく近く)わかりませんでした。(ついでながら、こんな文を、短編小説とは言え一定量読まされますと、いいいいーーという気にはなります。)
 この作品は、こういう文章が理解できる人のみを読者として書かれているんでしょうか。そういえば森鴎外の小説なんか、読者にあるレベル以上の教養を要求しているところが確かにありますものね。(鴎外は新聞小説として連載していた史伝に対して、面白くないという反応が読者から湧き上がると「キレて」反論しています。)

 そんな風に考えると、小説表現が一番に基盤としている言葉の知識の共有というものは、いったいどんな広がりを持っているものなのか、我々読者はどんな共通理解をしているものなのか、少し気になったりします。
 あるいは、上記文に戻ると、これはひょっとしたらぎゃはははと笑いながら読む箇所なのかな、パロディとして。

 めったに読まないSF小説を読むと、そんな、まー、いわば小説の基本というか前提というか、普通ならあまり気にしない小説の「約束事」について、改めていろいろ考えることができて、面白いといえば面白いです。

 また、別の作品は明らかに小説とは何かという小説であったりしています。
 こういうのは「メタ小説」というんでしょうか、SF小説「大御所」の筒井康隆の作品をはじめ、結構いろんなところで見る気がします。

 でもこれもアバウトにわたくし思うのですが、小説が小説とは何かを説き始めるというのは、小説の持つ「本能」(小説はその黎明期から自らの解体を内にはらんでいるジャンルであるという「見識」ですが、これはたぶん丸谷才一あたりの剽窃です)みたいなところがあると思う一方、多くの芸術が紛れ込む袋小路のような気がします。

 20世紀以降の現代美術も現代音楽も、あるいは文学の中でも小説よりもより「芸術」に近い現代詩も、そんな「行き止まり」から抜けられなくて、どんどん玄人好みの、といえばいい言い方で、要するにどんどん一般的「鑑賞者」を失っているように思います。(たぶんそれは、衰退といっていいと思いますが。)

 などといろいろ考えるのですが、さて10作の短編小説を読み終えて、どれが好みだったかなーと思い返すと、「内在天文学」、「つじつま」(この「つじつま」という作品は、息子が子宮から出てこなくて、その中で成長していき大人になって結婚もし子供も生まれ、という話です。うーん。)あたりが浮かび、これらの作品はざっくりまとめると、何とか手の届きそうな想像力の射程範囲にある作品が、その作品世界を構築して、そしてその底辺に詩的な「孤独感」が流れている作品だと思います。

 と、本当にざっくりまとめますと、それって結局は「不易流行」ではないのかな、と。
 ……うーん、不易流行か。……。
 不易流行といえば、松尾芭蕉は江戸時代の文学理論ではないですか。大昔、ですよ。
 ……うーん、結局は、人間は変わらないということ、なのでしょうか、ねぇ。……。



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Last updated  2018.12.22 11:22:23
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