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analog純文

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2019.04.14
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  『銃』中村文則(河出文庫)

 かつてベストセラーになった、村上龍の『13歳のハローワーク』という本があります。
 私はベストセラーの話題が落ち着いた頃に、中古本で買いました。
 その中に「ナイフが好き」という章があります。(この本は、「好き」から仕事を探そうというのを基本的なコンセプトにしているんですね。)

 そこには、ナイフでいろんな事件が起こるが、もちろんナイフが悪いのではなく、使う人間が悪いのだという説明があり、さらにナイフ職人の説明があり、そしてその章の最後に、このように書いてあります。

 しかし、ナイフを持つと自分が強くなったような気がするという子は、「絶対に」ナイフを持ってはいけない。

 実は村上龍のこの本には、「銃が好き」という章立てはありません。
 その代わりに、「武器・兵器が好き」という章があって、そこには、武器・兵器というものは「ばくだいな資金を使って開発され、作られているので、その姿形は機能的で魅力的に見える」とあり、しかし、「ただし、武器や兵器が本当に好きな子はごく少数だ。他の大多数の子は、学校の授業や家庭が退屈だったりして、その気晴らしとして、武器や兵器を好むようになるだけである。」と書かれてあります。

 さて、冒頭の小説『銃』を読んで、私が本棚から手に取った村上龍の本の話題を書きましたが、本書のポイントの一つは、まさに引用した二個所であります。繰り返しますと、この二つ。

 1.ナイフを持つと自分が強くなったような気がするという子は、
   「絶対に」ナイフを持ってはいけない。

 2.武器や兵器が本当に好きな子はごく少数だ。他の大多数の子
   は、学校の授業や家庭が退屈だったりして、その気晴らしと
   して、武器や兵器を好むようになるだけである。

 今回取り上げる『銃』は2002年の作品で、村上龍のこの本は2003年に発行されています。まさか村上龍が『銃』を参考にしたとも思えませんが、『銃』の主人公の内面設定は、きっちりこれに当てはまっています。
 特に「1」の、銃との一体感、銃を持つことで主人公が手に入れる全能感は、作品中いたるところに散りばめられてあります。例えばこんな感じ。

​ 私は、拳銃と一体になったような、そんな感覚に覆われていた。私は自身の体ごと拳銃の一部になった。この、圧倒的な存在感、意思を持った拳銃と一体になったその全身の感覚は、今までの私が感じたことのない程の、快感だった。​

 という描写がいっぱいあるのですが、しかし、そんな拳銃をどの様に詳しく描写しているかというと、実はあまり書いてありません。主人公も、拳銃を握っているか磨いているかしか、普段はしていません。

 これは少しヘンですね。普通物を愛すると、人はそれをしつこいくらいに見つめるものであります。となると、主人公のこの「拳銃愛」の正体は、上記の「2」っぽくなってきます。

 事実そうなんですね。主人公の人格的欠陥、人間的な感情の著しい欠如が、彼の成長過程の話と絡めて書かれています。
 主人公が幼児の時、母親は失踪し、育てられている父親からは暴力を受けます。そんな小さかった頃のことを、例えばこんな感じで思い出します。

​ 私を生物学的に形作っているものの半分はあの父親の遺伝子であり、もう半分は私の知らない逃げた女のそれだった。私はその時、自分に興味を失った。自問自答することや、自分を知ることをしない方が、自分は快適に生きていけると、子供なりに、ぼんやりと意識するようになった。考えてはいけない、私はそれを思いだし、少し嫌な気分になった(略)。​

 そんな主人公がたまたま銃を手に入れて、人殺しをしてしまうという話です。
 という風にまとめて読み終えた私は、本棚からもう一冊、文庫本を取り出しました。
 それはカミュの『異邦人』です。

 ストーリー的にはそっくりなんですね。(特に『異邦人』の第1部まで。)
 描写のタッチも、一人称で、ものを考えるその物事の捉え方も、とても似通っています。女性に対する欲望のあり方もよく似ていたり、ムルソーの「ママン」の死の代わりに、瀕死の父親と病院で対面する場面などが出てきたりもします。

 ここまで似ていて、さて筆者はどうまとめていくのかなと、一抹の不安も抱きつつ、でも私はけっこうはらはらと楽しく読んでいきました。

 私の「一抹の不安」とは、展開について、最後に主人公の行動を狂気に落とし込んでしまわないかという不安でした。というのも、ストーリー上仕方のないところはありながら、ちらちらとそんな言い回しがそれまでに見え隠れするように思ったからです。
 ところが、「14」章あたりから、やはりそうなっていくんですね。そして最後までとうとう「狂気」で突っ走ってしまいました。

 ……うーん、これはどうなんでしょう。14章以降についてですが。
 今私は、「不安」という言葉を使いましたが、これは私の好き嫌いの問題なんでしょうか。
 文学は、確かに狂気と併走する部分を大いに持ちます。しかしそれを描くポイントは、誰の中にも内在する狂気であって、例えばその結果拳銃で人を撃ち殺すというような、明らかに分水嶺を越えた狂気ではないように思います。(『罪と罰』は? あれのテーマは、狂気じゃなくて、これも文学が併走する魅力的なテーマの「悪」じゃなかったかしら。)

 分水嶺を越えた狂気は、それは医学のテーマであっても文学のテーマではないように思います。
 カミュの『異邦人』のムルソーは、「狂人」としては描かれていないと、私は考えるのであります。

 ということで、実際はその見分けは難しくもありましょうが、私としては、これだけ我慢強くエネルギッシュに「読ませる」ように書き込んだ本書に、終盤、少し残念な思いを持ってしまいました。……。


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Last updated  2019.04.14 21:55:28
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