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カテゴリ:昭和期・中間小説
『鬼の詩・生きいそぎの記』藤本義一(河出文庫) この筆者は亡くなって6年ほど立つ方ですが、私は初めて小説を読みました。 わたくしは関西に住んでいますので、この関西人作家もすでに読んでいればよかったのでしょうが、私が今まで触手を伸ばした関西人作家は(関西人作家というより、関西風土っぽい作家ですかね。単に関西生まれなら村上春樹も関西生まれですが、普通村上春樹は関西人作家とは考えませんものね)、武田麟太郎・織田作之助・開高健あたりかなと思います。 ……こうして考えてみると、そもそも今まで余りたくさんの関西人作家に興味を持っていた訳じゃないことが、わが事ながら初めて分かりました。 上記に3人挙げましたが、中心は何といっても織田作之助でしょう。本書には織田作之助に触れたこんな個所があります。 やはり織田作というのは、そこに根づいて、大阪弁で書いていったがために、戦後の文学史の中で、太宰よりも大変評価が低くなって、ほとんど文庫の本もなにも出ないという状態になる。それこそが文学だ、それこそが郷愁の生んだ文学なんじゃないかと。太宰の場合は、なんか上流家庭の言葉を使って、そしていろんなものを書くんだけれど、これは受けるけれど、俺はこの”太宰の故郷の状況”というものは好きじゃないというんですね。”故郷の人間”として、太宰はどうも俺は全部駄目だと。 ちょっとだけ説明しておきます。この本は少しヘンな構成で、5つの作品が収録されているのですが、小説らしい小説は3作。一応小説と考えても悪くないのが映画監督川島雄三を描いた「生きいそぎの記」1作。もう一つはその川島雄三について語った藤本義一の講演録、となっています。そして上記の引用文は、講演録から川島について述べている部分です。 実はこの講演録が私は本書の中で一番面白かったのですが、方言(というより私にとっては関西弁ということですが)を用いた小説作品について、改めて考えるところがあります。 これは実はなかなか微妙な問題で、そう簡単にまとめることはできないのですが、しかし、我々は(少なくと関西人でありながらの私は)一応標準語で書かれた作品を多く読んでいます。昔、長塚節の『土』を読んだ時、その地の方言がセリフで書かれていて、何が書かれているのかあまり分からなくて往生したことを思い出します。 それに、太宰と織田作を比較して織田作が読まれないと書かれても、そもそも文学史の中で太宰より読まれている作家が何人いるのかと言うことですよね。 そんなわけで、私は一概にこの説に賛同するのではありませんが、なかなか興味深い講演録でした。 ということで、私はこの度初めて藤本義一の小説を読んだのですが、なぜ読んだのかというと、それは又吉直樹の『火花』を少し前に読んだからですね。 『火花』は何が書かれた作品かはいろんな角度から説明できると思いますが、一種の「職人小説」とまとめることもできそうに思います。 職人小説で、お笑い関係の分野でと連想した時、私は藤本氏の「鬼の詩」を思い出したわけです。私は読んではいませんでしたが、直木賞受賞作として何となく知っていたので、この度手に取った、と。 ところが、お笑い分野でありながら、一向に面白くない(この「面白くない」はつまらないではなくて、笑いの要素がないという意味です)んですね。 上記に挙げた小説らしい小説3作が、落語家、漫才師などの話でありながら、それが揃いも揃って暗い。ことごとく暗い。とにかく、暗い。圧倒的に暗い。 何でこんなに暗いのかというと、例えばこんな部分があります。 「芸の虫ちゅう虫は、ほんまに小っぽい虫やろけども、一旦これに食いつかれたら最後、どないしても食い荒されてしまうなあ。芸の虫は、体の中で毒を吐いたり、昼寝したり、また忙しゅうに走りよったりして、どもならんわい」 こんなことを呟いてはったこともおます。 職人小説は、大抵こんな感じになってしまうんですね。対象の職業(技芸など)をどんどん追いつめていって、それも超人的に追いつめていって、そしてその挙句、人格的には破綻してしまうという。 私は『火花』を読んだ時も、現代はこんなところに「無頼派作家」がいたのかと思いましたが、無頼派作家というのも一種の職業小説絡みの「技芸」だと言えそうに感じます。 ただ、人格破綻しないパターンもあります。その典型は中島敦の「名人伝」だと思います。一つの道を追求した挙げ句の人格(技芸・創造物等)が、いかに超人的、神の領域の如きものになったかという小説ですね。 まー、シュールの方へ展開するというパターンですね。これは、あっけにとられることはあっても、さほど暗くないと思います。(これはエンターテイメントですが、阿佐田哲也の麻雀小説、特に短編の作品もそんな感じじゃなかったでしょうかね。) ともあれ、この度3作のお笑い分野の職人小説を読みましたが、あまりに暗いことから、それなら、実は私は、又吉直樹の『火花』をさほどの秀作とは思わなかったのですが、少なくともお笑いの「ネタ」のような個所はそれなりに面白かったことが思い出されました。 しかし、関西人作家の藤本氏の、他の作品はもっと面白い(この面白いは本当に笑ってしまう面白さ)のでしょうねぇ。上記に触れましたが、同収録の講演録は、わたくし、読んでいて何度か噴き出しました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.07.16 08:17:44
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