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カテゴリ:平成期・平成期作家
『ポトスライムの舟』津村記久子(講談社文庫) 休憩終了のベルが鳴り、ラインが動き始める。休憩前よりは軽く感じる手を上げて、流れてきた一本目の乳液のキャップを固く閉めて、表裏上下とひっくり返して確かめ、再びコンベアに戻す。これから約二時間、ナガセはそれだけをする人間になる。 (略)工場の給料日があった。弁当を食べながら、いつも通りの薄給の明細を見て、おかしくなってしまったようだ。『時間を金で売っているような気がする』というフレーズを思いついたが最後、体が動かなくなった。働く自分自身にではなく、自分を契約社員として雇っている会社にでもなく、生きていること自体に吐き気がしてくる。時間を売って得た金で、食べ物や電気やガスなどのエネルギーを細々と買い、なんとか生き長らえているという自分の生の頼りなさに。それを続けなければいけないということに。 主人公「ナガセ」は、三十歳を向かえる独身大卒女子です。大学卒業後最初に勤めた会社で激しいパワハラにあって離職。組織の中で働くことにトラウマを持ち、契約社員としてラインの仕事をしているという設定です。 二つ目の引用の部分の後、彼女が腕に「今が一番の働き盛り」という文の入れ墨を彫ろうかと考えるという描写が入ります。上記の引用文にあるラインの作業に入ると、手を動かすかものを考える以外何もできなくて、えんえんとそんなことを考えてしまうという展開です。 さて、本書は、2009年前期の第140回芥川賞を受賞した作品です。 ネットでちょっと調べると、選考委員の山田詠美が選評に「『蟹工船』より、こっちでしょう。」と書いたとあります。 突然の『蟹工船』ブーム、ありましたねー。 そーか、本作はちょうどあのころの作品なのかー。 と、ちょっと感慨にふけり、さらに考えてみたら、じゃあ本作は、あの時期以降現在に至るまで、芥川賞受賞作品に連綿と続いている、齢30代あたりの女性の社会不適応小説の先駆けであったのですね。 そういえば私も覚えているのですが、ちょうどそのころ精神科のお医者さんの講演会に行ったら、その女医さんがこんなことをおっしゃっていました。 最近私は、たまたま30代後半の3人の女性のカウンセリングを続けてした。 1人目は、独身のキャリアウーマンで、こうして15年近く脇目も振らずに働いてきたがふと私の人生とは何だろうかと悩む、と。 2人目は、結婚して子供もいて仕事にもついている女性で、日々仕事と育児に追われっぱなしではて私の人生とは何なのか、と。 そして3人目は、専業主婦で、夫と子供のために私の人生は…… ……と、以下はお分かりと思います。 悩みの原因は三人三様でありながら、その根幹は、共通して現代社会で女性が生きることの存在論的違和感でありました。 またそういえば、『アンナ・カレーニナ』の冒頭は、幸せな家族は一様に同じだが、不幸な家族は実に様々な理由で不幸である、といった文じゃなかったかと思い出します。 そしてそれに加えての、「蟹工船労働」であります。 しかしつくづく思うに、いつの間に日本の若者を取り巻く労働環境は、これほどまで人間疎外になってしまったのでしょうか。 いえ、若者だけのことではありませんね。「ライン」に準ずる仕事が、非正規の労働者に割り当てられるものならば、その割合は全労働者の40パーセントに年々近づこうとしています。 そんなのは昔からだ、という声も聞こえそうです。 言われてみれば冒頭で引用した描写は、そのままチャップリンが『モダンタイムズ』で描いた「ギャグ」としての職場風景と同じではないですか。 なるほど、フォード社がオートメーションで自動車を作り出した時代まで遡る、ということですか。 でも、例えば織田作之助の『夫婦善哉』のあの昭和初年の夫婦も、いろんな店を作っては壊し、作っては壊ししていたと記憶しますが、人間疎外の労働とは書いてなかった、いえ、読めなかったはずです。 ……と、いう風な小説です。 しかし、というか、にもかかわらず、というか、本書の読後感はさほど悪くありません。 それは、筆者が最後に、主人公に小さな幸福感を与えたからでしょう。具体的に書きますと、一定量のまとまったお金を手に入れたこと、そして、崩していた体調が回復してきたこと(つまりきわめてフィジカルな理由)です。 それともう一つ、筆者の、視点の低い控えめな描写と適度なユーモア感覚の漂う文体が、この小さな幸福感をもたらしていることは見落とせません。(しかし考えれば、文章力にこの2つがあればほぼ最強という気もしますが。) しかし、しつこくしかし、わたくしとしては、本当にこれでいいのかという思いが、無いものねだりなのかもしれませんが、します。(そもそもこの人間不在は、きわめてメンタルなものであるはずでしょう。) これだけ徹底した人間不在の労働環境に、かなわぬまでも一太刀なりと浴びせるような小説を、最近の若い作家の中では一番私が気に入っているこの筆者に、ぜひとも書いていただきたいと願うものであります。 ぜひ。よろしく。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.09.17 18:44:25
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