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2019.10.29
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  『マチネの終わりに』平野啓一郎(毎日新聞出版)

 「失恋」という言葉がありますね。
 あー、そういえば、若かりし頃、心ならずもこの語の現す事態に、何度も何度も引きづり込まれていたなぁ、と、わたくしは遠くを見るような眼差しで少し切なく思い出すのでありますが。

 ふと、考えたのですが、失恋の反対語は何なのでしょう。
 単純に考えて、「失」の反対だから「得」、つまり「得恋」、ってそもそもこの熟語はどう読んだらいいのでしょう。

 ……っと、思ってまさかと辞書に当たってみたら、え、載ってるよ。
 私の引いたのは、2003年初版の「明鏡国語辞典」ですが、こう書いてありました。

 得恋=恋がかなうこと。恋愛が成就すること。「失恋」に対して造られた語。

 ……ったく、最近の辞書は何でもありですなー。少しは節度という事を知っていてもらいたいものであります。
 しかし、辞書にあったとしても、私の問題意識はちっとも解明されていません。
 つまり、私の問題意識とは、「恋がかなう」「恋愛が成就する」とは、どうなった状態、どういう段階のことを言うのか、ということであります。

 しかし、まー、辞書にあるくらいですから、昔よりいろんな方がこれについて考えていただろうことは間違いなく、例えば私だって昔こんなことを考えていました。

 世の中には恋がかなった恋愛小説はない、と。
 悲恋を描く小説なら星の数ほどもあるでしょうが、恋がかなってハッピーエンドのように見える恋愛小説のエンドマークの先に、「ま、しかし、この先どうなるものやら。」というつぶやきを重ねない小説はないじゃないか、と、私は密かに思っていたんですね。

 いえ、本当のことを言いますと、私は私の読んだ小説(90%くらいは日本の小説ですが)の中で、一作だけこの言葉を呟く必要はないかもしれないと思った小説に当たっています。
 それは谷崎潤一郎の『春琴抄』です。
 その小説だけは、「この先どうなるものやら」という言葉に対し、たぶん鉄壁の守りを持っているように私は感じました。

 しかし、谷崎の恋愛至上主義はかなり特殊でありますから(だって、あの、谷崎ですから)、これをもって恋愛小説のベストとは言いかねる部分があります。

 さて、なぜこんな話になったかといいますと、考えれば本当に久しぶりに現代日本文学恋愛小説を読んだなぁと、私は、上記の本を読み終えて気がついたからであります。
 いえ、残念ながら、私は本作がまれに見る大傑作の恋愛小説だと感じたのではありません。でも、私なりにはいろいろ考えることが多かったと、読んだ後、思いました。

 それを本書の読後感と絡めてまとめますと、「本書は、恋愛の終わりを描いた小説なのかもしれない」ということであります。
 「恋愛の終わり」とは、もちろん「失恋」では、ありません。
 あえて言いますと、ハッピーエンドとしての「恋愛の終わり」であります。

 でも、これが、まだ余りよく分からないんですね。
 例えば本書の中に、ヒロインが離婚をする時(二人の間に小さな男の子がいることもあって)、元夫の男性から「僕たちはきっと、離婚してからの方がいい関係になれるよ。」と言われますが、私の言いたい「恋愛の終わり」はもちろんこれではありません。

 少し前に読んだ村上春樹の『騎士団長殺し』の中に、妻に離婚を切り出された主人公が、最後に妻から「もしこのまま別れても、友だちのままでいてくれる?」と言われ、意味が理解できないでいるという場面がありましたが、そこから生まれる状況が、私の言う「恋愛の終わり」なのか、これもよく分かりません。(その後、作品の展開はそのようにはなりませんでした。二人がよりを戻したからです。)

 実は少し恥ずかしい話なのですが、私はこの年に至るまで、恋愛は人生にとって、とても大切なものだと思い続けてきました。
 それは、何も分かっていなかったティーンエイジャーの頃(今でも何も分かっていませんが)、何かの拍子に(きっと何かの文章で読んだ孫引きの引用でしょう)「恋愛は人生の秘鑰なり」という、わりと有名な北村透谷の言葉を読み、とても納得してしまったんですね。
 そして、なんと、延々とそのまま現在に至る、と。(そんなことを言った北村透谷は、無責任にも二十五歳で自殺してしまったというのに。)

 そんな私が読んだ本書ですが、本書のラストシーンで、ヒロインとヒーローは、まぁ、私の言うところの「恋愛の終わり」といった状況に入っていこうとします。

 しかし、常識的に考えると彼らは「恋愛感情」から「同士=友人感情」に、ゆっくり移行しようとしていると読めそうです。少なくない読者はそう読んだかもしれません。
 また、少なくない読者は、プラトニックではない恋愛感情がいよいよ始まるのだと読んだかもしれません。

 でも、もちろん私はどちらの読み方にも与していません。
 では、それはどんな読みなのだと言われたときに浮かんだのが、「恋愛の終わり」であり、それは何かの始まりであると同時に、しかし「秘鑰」ではなくなった「恋愛」であるような気がします。

 どーも、よく分かりません。(そもそも私の脳細胞が、そんなアバウトかつイージーな作りであります。)
 そんなことを考えました。

 上記にもちらりと書きましたが、読んでいて、はっきり言ってこれはないでしょうと思うような展開や描写もあったように思います。かなりでこぼこのあるお話でした。(思うに、人格と音楽的天才の微妙な混乱があるように感じるのですが。)

 でも、上記に私は久しぶりに現代日本文学の恋愛小説を読んだと書きましたが、ひょっとしたら恋愛小説は、今でも可能性があるかもしれないとも思った小説でした。(だって、現代小説は「こじらせ」系の男女の社会不適応小説ばかりではないですか。でも、本書の主人公達も少し「こじらせ」系ではありますが。)

 どうでしょう。どなたかお考えいただけませんか。
 ハッピーエンドとしての「恋愛の終わり」の具体的な姿を。
 人ごとみたいにすみません。でも、「これからも友だちでいようね」系ではない、そしてさらに言うと、死によっても裏打ちされない「恋愛の終わり」を。


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Last updated  2019.10.29 16:36:25
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