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カテゴリ:昭和~・評論家
『鴎外最大の悲劇』坂内正(新潮選書) 「街のごろつきのような言いがかり」(高橋義孝) 「自己弁疏に寧日がない」(同) 「自分の最も深い傷口を隠したとまでは言うつもりはないが、何か釈然としないものを感じる」(山室静) 「真の啓蒙家にはあるまじきものがひそんでいる」(伊達一男) 「国内向けの論文と国外向けの論文」で「同一の主題に対してそうした使い分けができるということは」「科学者としての誠実さに疑いを挟まないわけにはいかない」(白崎昭一郎) 「無法ともいうべき論法で、医学問題を論ずる論法とは思われない」「余りにも粗雑かつ常軌を逸した」論(山下政三) 「人足の喧嘩調」(谷沢永一) 「対者に混乱と無能感と劣等感を生じさせる為の、勝負感に発する手管」(同) 「専ら先取得点の功績にのみ固執する評価軸は鴎外の顕著な信条のひとつ」(同) 私も今まで何冊かの文芸評論等を読んで、かなり厳しい評価が書かれている文章を読みましたが、冒頭のこの本ほど、徹底的に苛烈に「筆誅」を加えているような本は初めてでした。 そのターゲットとなっているものは、近年いろんな資料が新しく発表されるたびに、どう考えても責任問題が生じるだろうと思われる、主に日清日露戦争時における陸軍の兵食と脚気の問題についての重要関係者の一人鴎外の主張であります。 本書はそれに絞ってかなり詳しく分析がされているのですが、私は最初、本書を読みながら、鴎外に対する批判的な表現が出るごとにチェックしていったのですが、そんなことをしていたら本当にキリがないことに気づきました。 そこで上記には、筆者以外の鴎外評のみを挙げてみましたが、筆者の表現については、キリのない中で、いくつかだけ挙げてみます。(まとまってそうなやつを) ・相手の真意、問題提起を無視し、あるいは無視するために問題を矮小化したり転移して論を競い、当面の論争に勝つというのが鴎外論争術 ・自らの負けを認めることのできない林太郎の性格 ・林太郎の拘執性について病跡学的研究も必要 ・機を見るに敏 ・「明哲保身」 ・宿痾のようなものであった。 ・医局内に「彼は曲学阿世の徒だ」という声 ……と、取り上げていくとやはりキリがありません。 確かに本書を読む限りにおいては、鴎外の人間性について、テレビドラマなら間違いなく大悪役に描かれるだろうパーソナリティで、ちょっと他には類例が思いつかないほどであります。 しかし、……しかし、私は、本書を読んだ後、かつてとても感心した鴎外の一短編を読み直してみました。 少し前に、関川夏央の文章に、鴎外の真骨頂は「節度」であるという表現を読んだのですが、その評に一番ふさわしい作品じゃないかと思って読みました。 『ぢいさんばあさん』です。 読み終えて、やはり私はとても心洗われる思いを持ちました。 美濃部伊織の妻るんの、自らの運命に対し、背筋を伸ばしながら従容と従っていく様が、節度ある筆遣いで描かれていることに、私はやはり、感動しました。 こんな話の書ける作家の人柄と、上記のような苛烈な批判に曝される人間性が、同一人格の中に併存できるものなのでしょうか。 私にはわかりません。 本書の筆者は、文中で「晩年の鴎外の暗さ」を指摘していました。 上記にも言葉を取り上げた谷沢永一が、本書裏表紙の紹介文に「鴎外という明治期ならではの悲劇的な個性の謎」という文言を書いています。 人生というものの底知れぬ奥深さと恐ろしさ、そして尊さをふと感じる読書でありました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.11.10 16:39:57
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