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近代日本文学史メジャーのマイナー

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2019.11.24
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  『事件』大岡昇平(新潮文庫)

​ 法廷において、最後に勝つものは真実である、という考えは、あまりに楽天的に過ぎるとしても、真実を排除した裁判は、民主主義社会では行われ得ないし、真実には実際それだけ裁判官の心証を拘束する力があるとみるべきである。​

 上記の文章は、約600ページの本小説のちょうど真ん中あたりに書かれたものですが、つまるところ本作のテーマはこれに尽きると言えそうな気がします。

 さて、今回私が読んだのは、上記の裁判小説であります。
 寡聞にも私は読んだことがないのですが、アメリカの推理小説に、ペリー・メイスンという弁護士を主人公にして、法廷で検察官と丁々発止のやりとりをするのがメインという推理小説のシリーズがあるそうです。本書でもその推理小説について少し触れている箇所があって、ただ日本の裁判制度では、そんな具合にはいかないと書かれてあります。

 そんな「裁判小説」ですが、これも本書のどこかに書いてあったのですが、生涯裁判などにかかわらない人生は、それはそれでとてもいいのだとありました。
 本作は、昭和36年が時代設定になっているので、現在の裁判員制度には全く触れられてなく、生涯裁判に係わらないのがよいのかどうかはそう簡単な話じゃなくなりましたが、とにかくわたくしは、本日に至るまで、一応裁判に係わったことがありません。

 だからでしょうか、やはり本書を読んで、かなり法学や裁判について啓蒙されました。
 本書は、解説に「情報小説」という言葉がありますが、わかりやすく言うと「漫画で分かる日本経済」みたいなのの類であります。
 ただ、それを大岡昇平が書いています。

 私は以前、大岡昇平が中原中也を論じた著書を読んだのですが、その時に感じたのと同様、平明で分かりやすく、非常にイメージをはっきりと描くことができる実に明晰な文章であります。さすがといおうか、とても好感の持てる文章です。
 そこに小説的な展開がスリリングに広がっていき、比較的長い小説ですが、読者を飽きさせません。安心して読むことのできる作品になっています。

 ところがそんな裁判についての「情報小説」を初めて読んだ私が、まずとても興味深い発見をしたのは、いきなり話が飛んでいくようですが、つかこうへいの『熱海殺人事件』はリアリズム演劇であったのか、という驚きでした。(もちろん、それは笑いを含んでのことでありますが。)

 つまり、少々誇張しつつ荒っぽくアナロジーを説明すれば、冒頭の本文の引用の特に前半に書かれていることは、結局裁判は巨大にフィクションであるということでありましょう。
 上記に、ペリーメイスンが検察官とやり合うようには日本の裁判制度はなっていないと本書にあると書きましたが、本書内でもやはり弁護士と検察官は強烈にやり合い、また「だまし合い」をしています。
 なるほど、裁判で最も重要なのは、言われてみればマスコミなどで聞いたような気もしますが、勝つための戦略であります。

 読みだした当初、私はそんなところが「つか的」でとても面白いと感じつつも、しかし真面目な話として、人を裁く上に本当にそれでいいのかという気持も絶えず浮かんでいました。(その辺が「裁判」ビギナーな所以でしょうか。)

 しかしそれは結局のところ、いかんともしがたいものだという感情が、本書を読み進めるうちに強くなっていきます。なぜなら、実もふたもなく書くと、真実はしばしばわからないからであります。
 本書には、こんな趣旨の表現が、何か所にもわたって書かれています。

​ 自白あるいは法廷の証拠調べによって、疑う余地なしというところまで、事実がはっきりしてしまう事件はめったにない。大体は多少の疑問を残したまま、大綱において過たずという線で判決を書くほかはない。絶対的真実は神様しか御存知ないのだから、正しい裁判手続きによって、「法的真実」をうち立てればよい、という論者もいるくらいである。​

 例えば本小説のテーマの一つである、「殺人」か「傷害致死」かの判断の根拠についても、行為が行われた時刻と現場に再生可能な神の目が存在しない以上、裁判官によって出された判決は「法的真実」でしかないのは明らかです。
 しかしだからこそ、筆者は、冒頭に引用した「真実」の重要性を強く述べているのだと言えます。

 そんな小説でした。私はとても面白く読みました。
 しかし、それでは本小説に高い文学性があるかといえば、それについては否ではないかと私は考えます。
 それは、文学性とは、「法的真実」に対してさらに抉りこむように突き刺さっていくことを目指すものだと、私が思うからです。

 ただし、本小説には、すべての裁判が終わった後のことに触れる最終章「真実」という部分があり、そこに、今私が述べたようなことは、筆者は百も承知と読み取れる展開があります。筆者は、本来の文学の姿を決して見失っているわけではありません。
 ただ本書において、それは前面に出たテーマではないというだけであります。

 この最終章は、文学的な存在に対する紹介を含みながら、また、作品のまとまりとしても一定の広がりを暗示させて終わるという、ほぼベストなエンディングではないかとわたくしも思うものです。
 文学に対する、筆者の粘り強いこだわりを感じます。
 大岡昇平の作品の持ち味、痛ましさを伴う懐かしさのようなもの、そして人生への虚無の視点も感じさせるのですが、それはまた、本作に対する筆者の誠実さでもあるように思います。

 最後に、話は違うのですが、実際の裁判も本小説のごとくに弁護士のできの良し悪しでがらりと判決が変わってしまうのだとしたら、それはとっても恐ろしいことで、そしてできのよい弁護士とは、はたして、ずばりお金のかかる弁護士という事なんでしょうか。
 わたくし、何となく、すっごく、心配なんですけどー。


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Last updated  2019.11.24 18:13:08
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