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analog純文

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2020.01.04
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  『太宰治』井伏鱒二(筑摩書房)

 本書は、筆者が太宰治について書いた随筆をまとめた本です。
 太宰が自殺した年の夏あたりから始まって、その後、例えば太宰の文学碑が建てられたなどの「イベント」の際に求められて書かれた文章などが続きます。

 次に、筑摩書房から出ている太宰全集の月報での連載随筆が十作ほどあります。こうしてまとめたものを読むと、その折々の太宰治と筆者の交友ぶりが描かれていて、とても面白いです。

 さらに次に、新潮社から出た日本文学全集の太宰治の巻の解説文。これは結構長くて、太宰作品について詳しく筆が及んでいるので、なかなか充実した資料です。

 そんな随筆集ですが、さて、何といいますか、やはり読んでいてとても心地よかったですね。
 「やはり」というのは、まず私に、井伏鱒二の随筆は銘品だという「先入観」があって、そして読んでみて実際その通りだったからです。

 その「先入観」はどこから来たのかと言いますと、私のかつての井伏随筆の読書体験からですね。どんな文章を読んだのかと言えば、井伏随筆としてはあまりに有名すぎて、取り上げるのが少し恥ずかしいくらいなのですが、銘品「おふくろ」であります。

 既に小説家として名を遂げていた井伏が郷里に帰ったとき、母親が、小説はどのようにして書くのかとか、漢字を間違ってはいけないなとかを晩酌していた井伏に尋ね、それに対して井伏がぼそぼそと答えるという話。(……だったと思います、多分。何せ、私が読んだのも大昔なので。)

 この話が、誰が読んでも、とおってもいいんですね。
 このお話の時、井伏鱒二はすでに文化勲章なんかを貰っている文豪なんですね。その井伏に向かって、漢字を間違えてはいけないという母の姿は、永遠の母と子との関係を実にハートウォーミングに描いていて、ほとんど感動してしまう名随筆であります。

 そんな井伏随筆体験をしていたものですから、今回の読書に当たってもそのくらいの予想をして、そして実際その予想通りであった、という事であります。

 しかし、このはらわたに染み透るような文章というのは、一体何なのでしょうね。
 井伏の弟子の太宰に天才的な文章力があったように、やはりこれも天才的な文章力なんでしょうね。

 太宰が井伏を終生師と仰ぎ(最晩年は少し微妙ですが)、井伏があれだけ迷惑を掛けられながらも、太宰の面倒を見続けたというのも、実は漱石と「木曜会」の弟子たちと同じように、単なる師弟愛ではなくて、御互いの才能を前提とした友好関係であったのだろうと思えます。(漱石の「木曜会」の弟子たちの才能は、小説家としてはさほどではなかったようですが。)

 だから、本書は基本的には太宰治の人柄をほめた内容になっているのですが、それは、凡百の「太宰大好き本」とは違っています。
 そもそもそんな本とは比べ物にならないのですが、何より説得力が全く違います。

 そんな随筆でした。もちろん太宰について初めて知ったエピソードが幾つもあるのですが、特におやっと私が思ったお話を二つ、簡単に紹介しておこうと思います。
 それは、いわば「もしもの太宰」です。

 まず一つ目は、太宰がパビナール中毒で入院していた武蔵野病院を退院するときのことで、太宰の兄の津島文治は、健康な生活をさせるために太宰を津軽に引き取って食用羊の牧場のお守りをさせたいと言ったというエピソード。

 実際は井伏も反対して、そのまま東京に残ることになるのですが、ここに「もしもの太宰」が生まれます。
 もしこの時太宰が津軽に戻り、田園に親しむような生活をしていたらどうなっていただろうかというのは、なかなか興味深くありませんか。

 津軽の地をいかに太宰が愛していたかは(それは「憎」の深さでもありますが)、様々な太宰作品からも十分読み取れますし、本書にも、二番目の妻津島美知子の文章として書かれています。

 もしそうなっていたら、以降の太宰作品がどう変わっていたか、ちょっと想像もしにくいですが興味深そうですね。そんな「もしもの太宰」がひとつ。

 本書にはもうひとつ「もしもの太宰」が書かれていて、それは井伏が、実際にもしもこの時そうだったらと仮定しています。
 それは、太宰が昭和十六年に陸軍の徴用令を受けたが痼疾のため逃れたという逸話で、実は井伏も同時に徴用令を受けており、そして彼はシンガポールに行かされています。

 このことについて井伏は、「太宰君は徴用を逃れたことを、何か後ろめたいことのやうに感じてゐたやうに思われる。」と書いています。
 そして「もし、あのとき太宰君が徴用されて、派遣軍徴員になつてゐたらどうだらう。『惜別』も『ヴィヨンの妻』も『トカトントン』も、この世にでなかつたらう。」と続けています。

 井伏が挙げた、なかったかもしれない太宰作品が、なかなか興味深いですね。
 実はわたくし、先日読んだ太宰についての本で、最晩年の太宰は(あたかも最晩年の三島由紀夫のように)、戦争で命を落とした人々に対して強い「後ろめたさ」を感じていたのじゃないかという考察を読みました。

 なるほど、もしも太宰がこの時井伏のように徴用されていたら、太宰は自殺しなかった可能性は、大いにあるような気がします。(それは三島由紀夫も同じかもしれません。)
 これもなかなか興味深い「もしもの太宰」でした。

 そんな、何か久し振りにほっとする読書をしたように、私は思ったのでありました。


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Last updated  2020.01.04 14:42:13
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