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analog純文

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2020.03.25
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  『男であることの困難』小谷野敦(新曜社)

 前回の続きです。
 漱石の『こころ』についての評論の内容紹介をしていました。

 実は私は、この筆者の『こころ』についての文章は、以前にも別の評論を読んだ事がありまして、少し思い出してみたら、別のブログで読書報告をしていました。
 それと重なりますが、その時筆者は『こころ』の欠点についてこう説明していました。

 1.「私」が、死にかけている父親を置き去りにして上京するのはおかしい。
 2.「先生」が「静」を置き去りにして自殺してしまうのは身勝手すぎる。
 3.「先生」から公表してはいけないといわれた遺書を公表するのはおかしい。
 4.「奥さん」と「静」が、「K」の自殺の原因に気づかないのはおかしい。
 5.遺書は、文章の長さからして到底封筒に入らない。
 6.「静」も「先生」も家名を継ぐ者でありこの結婚はそれほど簡単ではない。

 この6点が挙がっていて、私は、この中で一番「致命傷」っぽいのは4番かなーと書いています。
 本書には、まさにその4番の解釈について、そしてさらにその解釈からとってもスリリングな「お嬢さん」=「静」の佇まいが、描かれていきます。

 まず筆者は、このように語りだします。
 「奥さん」と「御嬢さん」が、Kの自殺原因に気が付かないというのは、確かにおかしくリアリティに欠ける、と。
 これをどう理解すればすればいいのでしょうか。

 実はそれは簡単です。気が付いていないのがおかしいのなら、本当は気が付いていたのだろうと考えることです。

 では、こう考えることで何がわかるのか。
 まず一つ目。それは、若き「先生」が疑っていた通り、この母娘は、ほぼ天涯孤独になった資産家のひとり息子である「先生」を夫に迎えて家庭の安定を得るべく、かなり早い段階から十分な話し合いを持っていたのである。「御嬢さん」の、Kへの微妙な素振りは、「先生」の心を自分に向けさせるための技巧であった。だから、飽くまで知らないふりを押し通したのだ、ということです。

 しかし、これだと「御嬢さん」=妻である「静」は、以下のような人格の女性になってしまいませんか。
 自分の夫が、友人を裏切って死なせてしまった罪悪感のために苦しんでいる長い歳月の間、その人物(K)が自分の技巧の犠牲となったことを知りながら、それを隠し、なんら良心の呵責も覚えずに生きてきた妻。

 しかし、いくらなんでも「静」がここまでひどい妻だと考えることは、かえって余計にリアリティがなくなってしまいませんか。
 ではどう考えるべきなのか。そしてそう考えることが、作品にどんな解釈を生み出すのか。
 ここの分析解釈が、わたくし、読んでいて再び唸るように面白かったところです。
 筆者はこう書いています。

​ (略)父を失って母子家庭となった家の娘が、資産もあり前途も有望らしく思える青年を捕えるために、ダシに使った愚鈍で誠実な青年を死に至らしめたことを、別段罪とは思っていないことに注意せねばならない。​

 つまり筆者が述べているのは、やはり「静」は、本当に夫である「先生」の苦悩の原因がわかっていないという解釈です。
 それは、彼女の正直な倫理感の結果であり、彼女は多分、何が問題なのかさえわかっていないだろうということです。
 それについて筆者は、このように断言しています。

 ​「静」とは、『こころ』とその読者たちにとって、「絶対の他者」なのである。​

 そしてさらに筆者は踏み込んだ展開をしていきます。

​ しかしわれわれは、こうした女が「いる」ことを知っているはずではないか。​

 なるほど現実には、自分に有利や得なことしか考えないということに違和感を持たない人は、男女問わず少なからずいますよね。
 でもやはり我々は、このような「静」解釈に、それこそなんとも言えない「違和感」を覚えませんか。これについての、筆者の説明はこうです。

​ 『こころ』が、そういう「文学作品」として書かれているからである。(略)一旦この「文学」の世界に入ったら、われわれは外の世界にそういう女がいることを忘れてよい、ここには「愛」や「エゴイズム」に悩む誠実な人間のみが住んでいる、そう思わせる「装置」である。​

 これは、『こころ』の最後「先生の遺書」のラストシーンに、妻にだけは知らせないでくれと書かれてあるその一言が、俄然漱石のとても大きなアイロニーであることに気づかせてくれるとても興味深い分析であります。
 私はわくわくしながら読んでいました。

 ところがさらにさらに、話はどんどん唖然とするような方向に進んで行くのであります。その極めつけは、こんな表現。

​ K、「先生」、「私」の差異はすべて見せかけのものに過ぎず、三人とも、静という一人の女の思いのままだったのである。​

 どうですか。ここには「私」までが入っています。
 さすがに、……んー、ちょっと踏み込みすぎてはいないかい、と思ってしまう展開ですね。
 と、いう思いをちらとさせつつ、しかしその証明についての報告は、控えておきます。ぜひ原文でお読みください。


 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 





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Last updated  2020.03.25 21:47:26
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