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カテゴリ:昭和期・三十年代
『破れた繭・夜と陽炎……耳の物語12』開高健(新潮文庫) 前回の続きです。 前回最後に書いていたのは、開高健の文体は、関西弁に標準語をアウフヘーベンした(逆かもしれません)、最強の関西人文体ではないかという事だったのですが、しかしここで私は、さらに考え込んでしまうんですね。 以下、そのことについて、ぽつりぽつりと報告させていただきます。 確かにそれは開高健ならではの天才的な関西人文体であり、そして読んでいる間は、この文体独特の「たゆたい」がとても心地よく感じられるものでありながら、しかし三島文体よりも、読み終わると疲れるのは、はてなぜか、と。 これが私の「考え込み」であります。 ふたつ、思いつきました。 ひとつは、これは強すぎる酒だな、ということです。 強い弱いの耐性はアルコールと同様、文体においても読者側の個人差があることでしょうが、いわば、これは私にとっては少々強すぎる酒だ、ということでありましょうか。 そして二つ目ですが、これはなかなか説明が難しいのですが、大きな枠で言いますと、文体と物語の関係についてであります。 小説にとって、文体と物語は車の両輪で、両者間に主従関係があるものではありません。つまり、どちらかがどちらかに奉仕するというものではないと思います。 しかし当然ながらこの二者は、どちらか一方だけで成立するものでもありません。(この表現はあまりに簡素化しすぎているような気もしますが。) 今、私がこの開高小説の文章について微かに感じる違和感は、文体が単独で成立してしまって、物語に奉仕していないのじゃないかというものです。 繰り返しになりますが、文体は必ずしも物語に奉仕しなくてはならないとは思いません。 しかし、一方が他方に対してまるで関わりを持たず、一人勝手に「自己完結」しているとすれば、それはやはりいかがなものか、と。 もしも文体の物語への「奉仕」という表現が相応しくないなら、文体ははたして物語に無関係に成立してもいいのであろうか、という違和感です。 (文体が、勝手に舌を巻く様なすばらしい芸を披露している、……とは、言いすぎでしょうか。) 我が田にばかり水を引いているような気がしつつ、これだけ惚れ惚れするような文章を読ませられながら、私が、どこか本書に対して醒めた思いがあるのはそのせいではないかと感じます。 さて、前回の冒頭にも述べましたが、私は本書を読んで二つのことを考えました。しかしまだ、二つ目のことについて報告していません。 もう一つの、はてこれは何なのかと思ったことがあるのですが、それについては、あれこれ考えるほどに少し「嫌」な感じになっていくようで、なんだか、もう書かないでおこうかなと思いました。でも以下に、少しだけ報告いたします。 それは少しだけややこしくありまして、一つだけれど実は二つの内容であります。 仮に「2-1」「2-2」としてみます。 「2-1」は、こういうことです。 それは、ほぼ全編に再三同様の表現がある「倦怠と解体」についてです。 特に主人公が小説家になった後、それはより強烈な形で主人公の内面に巣を張り巡らせ、様々な「国外逃亡」をさせ、ベトナムでの苛烈な体験へと導き、そしてその経験がさらに内面を「解体」させるというものであったのでしょうか。 「鬱」という表現も再三出ていますから、そのように理解してもいいかとも思います。 それはつまり、診断の付く病状であります。 私が気になることの一つは、思い切って書いてみますが、これは文学的なテーマであろうか、ということであります。 次に「2-2」です。 実は私に、いきなりの突拍子のない、かつ、とても意地悪な連想が浮かぶのですが……。 こんなことを書けば、開高健ファンは怒り出すでしょうか。 つまり、……これは太宰治の苦悩と同じじゃないのですか、……と。 そして太宰の苦悩とは、大きな枠で一言で言えば「転向」ではないのですか、と。 かつて太宰治本人に向かって、私はあなたが嫌いだと言ったという三島由紀夫は、太宰の文学的苦悩について、毎日決まった時間に起床するとか、乾布摩擦に励むとかを実行することで、その苦悩の少なくない部分は軽減すると書きました。 もしも今に至って開高健が生きていたならば、段違いに進歩をした精神疾患への治療、つまり即物的なもっとフィジカルな治療によって、開高の苦悩も「治癒」したのではないかという思いが少し浮かびます。 しかしその先に、はたして開高健はどんな「自己」を見たのか、……。 もちろん、そんなことはわたくしごときにわかるものではありません。 しかしそれが、とても厳しいものであっただろうということぐらいは、たぶん私でもわかると思います。 いえ、こんな妄想が、すでにおこがましいものであるかもしれないという思いも、一応は持っておりますが。……。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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