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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2020.06.14
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  『吾輩は猫である』夏目漱石(岩波文庫)

 あれこれ浮世との関わりもあって、しかし結果的には、ここんところけっこう暇でした。(まー、一連の「コロナ」禍のせいですね。)
 しかしそのせいだけでもなく、例えば読んでいて思わずぷっと噴き出すような小説を読みたいものだという気持ちは、けっこう以前から私にありまして、そんな小説を探してあれこれと手を出してはみたものの、なかなか思い通りの噴き出す小説に巡り合えませんでした。(これは日本文学が「笑い」という文化をどのように評価づけていたかというけっこう大切な問題でもありますが、しかしもっと即物的に、私のかなりバイアスのかかった読書傾向のせいだろうなとは、自分でも薄々わかっておりますが。)

 という状況下でこの度、少し暇もありそうだからと、私としては割と「満を持して」という感じで読み出だしたのが、この「猫」であります。
 たぶん今までに2.3回は読んでいるように思うのですが、でも一番最近に読んだのは20年以上も前、確か仕事の出張で東北地方あたりに行くことがあって、その行きかえりに読もうと持っていったのを覚えています。
 だから、約四半世紀ぶりの再読です。

 やはり、とても面白かったですね。
 実際に何度かぷっと噴き出してしまいました。
 この時期の漱石は、晩年の『こころ』や『行人』あたりの暗ーーーい作風とは全く違って、一般的には「余裕派」「低回派」などといわれるようですが、それを別に毀損の評価ととらえなければ、まさに絶好調の面白さだと思います。

 だから笑って読んで、それでおしまいでいいのだとも思いますが、実は本作は結構難しいのだという評価も一方であります。
 何が難しいのかといえば、例えば登場人物たちの極めて饒舌な会話内容を隅々まで理解するには、かなりの人並外れた(漱石くらいの)古今東西の広範な教養が必要である、と。

 言われてみれば、確かにそうでしょうねー、と思います。岩波文庫には巻末にたくさんの「注」が付いていますが、それでも難しい表現の説明をことごとく網羅しているとは思えません。
 でも、別に網羅できてなくたって、いいっちゃあいいわけですよね。その面白さを完璧に味わえていなくたって、別に構わないとも言えます。
 だから、「猫」が難しいというのは、漱石研究者間の、まー、「業務連絡」みたいなものでありましょうか。

 さらに、「猫」評価について、「猫」はなぜ面白いかという側面からのアプローチもあると聞きます。そして漱石の落語好きの指摘があったりなんかします。
 でもこれについても、さらに突き詰めようと思ったら「落語の面白さとは何か」みたいな方向に行っちゃって、そういえば今は亡き上方落語の桂枝雀師匠は(わたくし関西人なもので、実は上方落語の方が好みであります)、「笑いは緊張の緩和」などと言ってはりました。
 でも、まー、この方向も、「猫」鑑賞としては少し違うかな、と。

 というふうに、挿話の出典探索となぜ面白いか理論を外した後、「猫」にどんな鑑賞が残るのか、素朴にシンプルに私が思ったのは(そもそも私の脳みその作りが素朴とシンプル以外の何物でもありませんので)、「猫」の数多くのエピソードの内、どのエピソードがより面白いだろうかと考えるのが楽しいじゃないか、と。

 と、そのように方向性を決めて、あれがいいかこれがいいかと考えていったんですね。
 しかし、一等賞に面白いエピソードをひとつ選ぶとなると、これは結構迷います。

 例えば、猫の頭をぶってみろから始まる主人と細君のエピソードなんか、私はとっても好きなんですがね。
 猫の声は副詞か感投詞かから始まって、「はい」は副詞か感投詞か、そして世界で一番長い字は何かとか、その横文字は何かとか、主人が少しの酒に酔っぱらって次々に細君に語り掛け、それを駄々っ子を相手にするように細君がいなしながら応対するエピソードは、とってもラブラブな夫婦の日常を描いているではありませんか。

 漱石は精神的な病が高じると、今でいう家庭内暴力者であったようですが、こんな場面には、こんな夫婦のあり方に素朴な尊い価値を置いている漱石の姿が垣間見えそうです。

 という風に見ていくと、幼い三人娘の朝の洗面と朝食場面を描いたエピソードも、主人と細君の子育てをめぐる爆笑ものの面白さだと思うのですが、いかがですか。

 そしてこの後、苦沙弥家に姪の雪江さんがやってきて、しばらく女だけのエピソードになるのですが、この部分のメインの「馬鹿竹」の話も含めて、女たちだけの前後の一連の話がやはり抜群に面白いと思うのですが、これもいかがでしょう。

 と見てきて、わたくし、はっと気が付いたことがありました。
 確かに「馬鹿竹」の話も含めて「猫」には数多くの社会批判の話題があり、そしてそんな部分を高く評価する研究者もたくさんいるようですが、しかし「猫」の「猫」ならではの話題=面白さとは、実は、後年の漱石が二度と描くことがなかったハートウォーミングな家庭小説の姿の中にあるのではないでしょうか。
 (『門』には暗い中にも細やかな夫婦の情愛が、また『道草』にも反目し合いながらも微妙にいつくしみ合う夫婦の様子が描かれてはいたようですが……。)
 少なくともこの度、いたずらに齢を重ねた後に、四半世紀ぶりに「猫」を読んだ私が、本書の中で最も楽しく読めたのはそんな部分でした。

 最後にわたくし、思うのですが…。
 とにかく、漱石の恐るべき筆力による作品の書き込みが、今に至るまで、いかに多くの読者の豊かな読書生活を保障してくれているか、それは、例えば作曲家モーツァルトの作品群を「人類の不労所得」と名付けるのと、日本人にとっては、ほとんど同様ではないかと感じるのでありました。


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Last updated  2020.06.14 09:58:50
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