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2021.02.19
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カテゴリ:昭和~・評論家
  『文学国語入門』大塚英志(星海社新書)

 図書館で借りました。
 風のうわさに聞く「悪名高い国語新指導要領」(本書にそう書いてあります)ということで、図書館でちょっと手に取り、そのまま借りて家で読みました。

 まずなぜ「悪名高い」かをざっと説明します。
 高校国語科の授業内容が2022年から大幅に改定となり、今までの「現代文」が「論理国語」と「文学国語」の二つの科目に分かれます。
 「論理国語」では、どうも誰も読まない行政文書や契約書や「取り説」の類の文章の読み方を教えるのではないか、と。(考えただけでつまらんですなー。)

 そして「文学国語」に、文学系の文章をすべてまとめて押し込んでしまう、と。
 で本当にヤバいのは、全体の授業時間数の関係で、「文学国語」は、科目としてあっても例えば進学校なんかは選択しない(できない)だろうということであります。

 別に進学校が選択しなくってもいいように思いますが、進学校が選択しないということは、受験には不要だと考えられる科目なわけで、それは一気に全国的に、別に進学校でもあるまいにという高校まで右へ倣えしてしまい、その結果国語の授業から文学教材が消えてしまう(なくなってはいないが誰も学ばない、そもそも学校が選択科目として立てない)ことになってしまう、と。

 これは、やはりまずくないですかね。
 元文学少年の私としては、ひじょーーに寂しい。
 でも、そんなのなくなっても構わない、むしろすっきりする、と考える人もいるんでしょうね。
 これは別の本で読みましたが、イギリスなんかでも、かつて詩の暗誦を授業に多く取り入れていたのが、最近はそんな文学教材にかける時間がどんどん減っているということでした。(やはり寂しい。)

 ところが、……えー、実は、今回の本書は、そんな話題はほとんど入っていません。(えー、なんのこっちゃ。)
 もちろんそれは重要なテーマではありますが、本書の内容を、そのあたりと絡めてわたくしなりに説明いたしますと、こういうことです(たぶん)。

 がんばって授業に「文学国語」の科目を立てたならば、こんなに充実した学習ができますよ、という紹介。

 あれこれ文句をつけず、そう割り切って読みますと、これは結構興味深い内容でした。
 以下に、ざっと私が理解した内容を紹介してみますね。(いつものことながら、私のユルい頭で理解した範囲ということで、えー、すみません。)

 まず筆者は、「文学国語」学習の究極の狙いを「主権者教育」と置きます。(それはまー、他の教科でも多かれ少なかれ同じではありますが。)
 そしてそのために、「他者」「社会」と関わるツールを学ぶことが必要だ、と。

 次に教材の集成である近代文学史について、筆者はざっくり、近代になって突然注目を集めるようになった「自我=私」の肯定と暴走、そしてその制御または阻止の繰り返しを描いた歴史であるとまとめます。(たぶん。でもこの辺が、近代的自我の目覚めから始まって結構目新しく面白い所です。)
 なるほど、そうまとめられれば、確かにそんな気がしますね。

 そして肯定・暴走と制御・阻止とを、少しずつパワーアップしながら繰り返す歴史の中で、文学は徐々に「私」を客観視する目を養ってきた、と。
 文学教材を学ぶ意味の一つは、まずそこにあります。

 それを踏まえて次に筆者は、この「文学国語」が本当の狙いとしているのは「私」の暴走の制御・阻止にある、と説きます。
 なぜ、今、暴走の制御・阻止なのか。

 それは、日本の歴史上現代ほど「私」が暴走している時代はないからでありましょう。今あれこれと問題になっているネット上の言論空間を思い浮かべても、確かに納得がいきます。

 つまり、成熟した「主権者」として「他者」と「社会」と関わり合うには、「私」の暴走と制御・阻止を伝統とする「近代文学」(特に現代文学)を学ぶのがふさわしい、と。

 本書の後書きですが、こんな文章があります。

 それは「他者とともに社会をどうつくっていくのか」という問いが今、この国だけでなく世界で改めて問われているからです。いや、「改めて」なんてしらばっくれるのは止めましょう。その問いをずっと先送りにしてきた結果が「今」なのです。愛国心や「日本人」を説く一方で、外国や異文化にあまりに不寛容で、絆と言いつつ弱者に冷たく、多様性と言いつつヘイトが横行し、民主主義を嘲笑うことが「正義」の顔さえする状況があります。SNS、つまりソーシャルと称するツールはあっても「社会」は不在です。
 その時「他者と生きるための社会」をつくる手立てとして「文学を学ぶ」というのは、考えられるオプションの一つです。

 ……、どうですか。たぶんこんな内容の本でした。(重ねて、たぶん。)
 ただ、それにしても、私としましては、二つ気になるところが残ります。

 一つは、そんな重要な手立てである「文学国語」が、冒頭でも触れたように実際には教育現場で学ばれにくい状況になろうことに対する言及の少なさであります。
 でもこれは本書については、木に縁って魚を求める類いの不満でしょうか。

 もう一つは、上記のテーマに沿って具体的に文学史上の作品を分析するにあたり、少し荒っぽく強引な立論が見られると感じることです。
 「そー読むかー?」と感じてしまう部分が、わたくしとしましては何か所かありました。……うーむ。

 本書は、文学評論とは異なるかとも思いますが、新しい切り口からの近代文学史とも興味深く読めそうでありました。


 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 





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Last updated  2021.02.19 16:27:02
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