【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

Recent Posts

Freepage List

Category

Profile

analog純文

analog純文

全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年代 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~平成・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~昭和・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~平成・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期の作家
2021.03.06
XML
  『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子(河出文庫)

 正面から老人問題を捉えた小説であります。芥川賞を受賞しました。その時筆者は63歳でありました。

 というあたりを事前の予備知識として本書を読みました。
 読み終わって、ふーむ、分かるような、というか、納得できるような、よくできないような気がしました。いえ、決して難しい話ではなく、作品はコミカルに軽やかな展開で進んでいくのですがー。
 何となくよく納得できないと感じたあたりを、以下に少しずつ考えてみたいと思います。

 冒頭に私は「正面から老人問題を捉えた」と書きましたが、「老人文学」というのは現在、どの程度成立・成熟しているのでありましょうか。
 5年ほど前に、本ブログで黒井千次の小説を取り上げた時に、私は「今老人文学は『揺籃期』にある」ということを書きましたが、あれから老人文学は、進歩あるいは成熟したのでしょうか。よくわかりません。

 そもそも、「青春文学」という言葉があるほどに「老人文学」というのは、現在成り立っているものなんでしょうかね。
 例えば、日本は高齢化と言われ、困ったものだ、このままにはしておけない、と漠然と思われているのは、まー、はっきり言うとお金の話ですよね。年寄りが長生きをして増えていくことで、医療費が国の財政を逼迫させるという。公的年金の問題も、それに加わっていますかね。

 しかしまー、そんな公の話は(もちろん大切ではありますが)、取りあえず今回はお上に任せておいて、個人としての「老人問題」というものを考えてみようと思います。

 年老いて年老いて、そしてさらに年老いた時の、不安の原因は何なのか、ですね。
 それは、孤独、肉体の不如意、そして死の恐怖、あたりではないでしょうか。

 わたくし、この3つをじーとにらんでみましたが、実際最も根源にある不安は、取りあえず「死の恐怖」かな、と。
 でも、ここばかりに絡めとられますと、多分にっちもさっちも行かなくなる、と。
 昔から言いますわね、太陽と死はじっと見つめてはいけない、と。(死を見つめる「分野」は、多分宗教関係なんではないでしょうかね。)

 という風に「死」をペンディングしてしまいますと、「肉体の不如意」もさほど問題にならなくなってきませんか。だってその先のボスである「死」を棚上げしてしまったのですから。(いえ、実際はこのテーマはそう簡単にペンディングできるものではないことは、分かっておりますがー。)

 ということで、残るのは「孤独」だけだ、と。
 そして多分、本書のテーマもそのようになっています。
 しかし、「老い」と「孤独」の関係というのは、どういったものでありましょうか。本文にこんな表現があります。

​ いつのまにか、干し柿とバスタオルの間からこぼれていた弱い光が消え、あたりは淡い暮色に包まれ始めた。この時分になると桃子さんはいつもの見慣れた、それでいて手ごわい寂しさに襲われる。​

 またこんな風にも書いてあります。

​ ところが、いけない。飼いならし自在に操れるはずの孤独が暴れる。いったい昨日とどう状況が変化したというのか、と桃子さんは自問する。即座に、何にもどごもかわってねのす、どごもかごもまったぐと言っていいほど同じなのす、と返ってくる。それなのに心というやつはどうなっているのか、風向きがすっかり変わってしまって桃子さんはしおたれる。いったい何をきっかけにそうなるのか、だいたいコドクというが正体は何なのか、はっきりこれこれの理由でこういう感情が湧き出てきてなどと説明がつかない。​

 この小説はそんな作品なんですね。(さらには、孤独と自由の問題が係わってきます。)
 二つ目の引用に、ちらちらと東北弁があらわれていますが、そんな方言の多用が、抽象的な思念に絡みついて独特のイメージを紡ぎ出します。
 (これについては、わたくしは関西人で、あまりよくわからないのですが、読んでいるだけで宮沢賢治と井上ひさしが表現に重なって現れ、そこにとても分厚い構造のイメージを形作るようで、これはいわゆる「先達」の助けですかね。)

 この理屈っぽいところが、本作の目玉の部分なのでしょうが、しかし、そんな抽象を生み出すもととなった主人公の具体的な人生や人間関係に触れた部分が、なんと言いますか、そのとたんに瘦せ細った表現になっています。

 これは私の読み損ないでしょうか、主人公の語る過去、そしてそこでの何人かの人物との交流などの描かれ方が、本作は弱くはないでしょうか。
 展開に無理がある、とは言わないまでも、描かれ方があまりに薄味で、例えば、故郷を棄てた場面は「東京オリンピックのファンファーレ」としか書かれてなく、娘との関係は「いつごろからか疎遠」で、最愛の夫の死ですら「一日寝込むでもなく心筋梗塞であっけなくこの世を去」るという描写です。

 こういうあたりはもう少し踏ん張るべきではなかったのでしょうか。
 もう少し書き込んでほしいと感じたのが、実は冒頭に書いた「納得」云々という意味で、そこに私は、戸惑いと共に、少々残念さを覚えました。


 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.03.06 11:15:31
コメント(0) | コメントを書く
[平成期・平成期作家] カテゴリの最新記事


PR

Favorite Blog

徘徊日記 2024年9月… New! シマクマ君さん

7月に観た映画 ばあチャルさん

Comments

aki@ Re:「正調・小川節」の魅力(01/13) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
らいてう忌ヒフミヨ言葉太陽だ@ カオス去る日々の行いコスモスに △で〇(カオス)と□(コスモス)の繋がり…
analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
√6意味知ってると舌安泰@ Re:草枕と三角の世界から文学と数理の美 ≪…『草枕』と『三角の世界』…≫を、≪…「非…

© Rakuten Group, Inc.