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近代日本文学史メジャーのマイナー

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2021.04.02
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  『月の光――川の光外伝』松浦寿樹(中公文庫)

 この本も、例の全国展開の古本屋さんで廉価で売っていたので買いました。買ってから何となくあちこち(前書きとか、内容ぱらぱらとか、ですね)見ていますと、どうも、この短編集には先行する別のお話があるようだ、と。(すみません。そんなことは、サブタイトルを読めばすぐに分かるだろうというご指摘は、十分ごもっともであります。)

 ではいかがすべきか読むべきか、……んー、いや、まーいーかー、などと考えていた折りに、ちょうど読書の友人に会いまして、次こんな本を読むつもりだと言ったら、で、あなたは『川の光』のほうは読んだのか、と聞かれました。

 そんな時ちょっと返事に詰まるわたくしって、本当にスノッブであるなあと我ながら思います。でも、つい、読んでいないがもちろんセットで読むつもりだ、と答えてしまいました。

 そこで図書館で本を検索しますと、このシリーズはさらにもう1冊あるということが分かりました。
 えー、3冊でセットなのかーと少し怯みましたが、とりあえず2冊借りて(つまり揃えるだけは3冊揃えて)、まずこの本から読みました。

  『川の光』松浦寿樹(中央公論新社)

 このお話は、読売新聞に連載されたものなんですね。新聞小説なんだー。
 そもそも私は、最近の新聞小説について何の知識もない人間ですが、こんな児童文学めいた作品も掲載するんですね。(新聞の中で、ここだけ子供が読むんかなー。)

 えー、実はわたくし、児童文学、ちょっと、弱いんですよねー。
 例えば、一部では「教祖」のごとく言われている宮沢賢治の童話ですら、本当のところ、どこがいいのかよく分からないでいます。……困ったことだ。

 なぜ児童文学がこうもよく分からないのかについて、そんな児童文学に理解力のない私なりに、かつて本ブログで考えてみたことがあります。
 要するに、児童文学ゆえの「人間性の簡略化」をどう理解すればいいのかが、私はよく分からないんですね。

 というわけで、少々恐る恐るという感じで、『川の光』を読み始めました。
 しかし読み始めてしばらくして、すぐに気が付きました。
 文章がきちっとしているからでしょうか、とても安定感のある、安心して読める児童文学だということに。恐れる必要はない、と。

 こんなのを、いわゆる大人も楽しめる児童文学というのでしょう。
 私にも、そんな児童文学が好きだという知人がいて、それなりに納得はできます。
 なるほど、現代の新聞小説の一端とはこういう作品であるのか、と。
 でも私としては、上記の「人間性の簡略化」という我が気がかりについては、なんとなくまだ心に含んだままでありました。

 さて1冊目を何とかクリアして、続いて冒頭の『月の光』に取りかかりました。
 先に奥付の辺りを覗いてみますと、初出誌は「群像」と「中央公論」ではありませんか。
 文芸誌にも児童文学かぁ。……んー、何となく今回も少し、戸惑いました。

 でも今回も、読み始めてしばらくして、これは、あ、と気づきました。
 この短編集は(少なくとも冒頭のお話は)、児童向きのものではない、と。

 さらにその後、一つ一つとお話を読んでいくと、なかなか微妙なお話もありましたが、総体としては、この本は、大人の読む本であろう(主に大人の読者を想定して書かれたものであろう)、と。何よりも文体が、それを物語っています。

 そう感じながらも、しかし物語は児童文学的設定で進められています。
 するとそこにどんなことが起こるか、それは思いがけず、私が上記にしつこく気になると書いた「人間性の簡略化」について、逆にくっきりと見えてくるところがあることに気づきました。例えばこんなところ。

​ それきり、ルチアはもう恋をしようとしなかった。恋は楽しいし子どもも可愛いけれど、あの浮き立つような、沸き立つような騒がしい時間は生涯に二度経験すればそれでもう十分だった。子どもたちが巣立ち恋人とも別れて独りぼっちに戻ったとき、淋しいという気持ちがないわけではなかったけれど、ルチアはむしろほっとした。もうこういうことに煩わされずに生きていこうと思い、その後は誰とも深い関わりを持たずに生きてきた。​

 引用文中のルチアとは雌フクロウですが、この擬人化と述べられている内容の関係は、「人間性が簡略化」されているが故に、かえって強い説得力があるように思いました。
 なるほど、例えば宮沢賢治の作品から人生訓を読むとは、こういうものであるのか、と。

 さて私はこのように、シリーズ2冊目の本を(1冊目とはやや異なって)、大人向けの作品として読みました。それはまた、作品がトータルに示すテーマについて、読みながらこんな風に考えたこととも相まっています。

 まず私は、優れた児童文学の普遍的なテーマの一つに、「生きることの喜び」を伝えるというものがあるように思います。それは例えば、自然の豊かさの再発見であり、人間社会の多様性の素晴らしさであり、そして自己肯定感などであります。

 もちろん本書もそういったものに触れてはいるのですが、本作はさらに、「生きることの意味」について、記述に少なくない重心がかけられているように思いました。
 「生きることの意味」を描くとは、たぶん、児童向けというよりは、生と同時に死をも見つめる大人向けの「哲学」の役割ではないでしょうか。

 それはひょっとしたら、筆者自身が死を(何らかの理由で)見つめているからかもしれません。
 あるいは、読者である私が、そうである可能性も大いにあります。
 しかし、そのような思いを読者に導く作品をこそ、我々は文学と呼ぶように、私は思います。

 (で、残りのもう1冊は読んだのかということですがー、……とりあえず図書館からは借りましたがー、……んー、まーいーかー……。)


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Last updated  2021.04.02 17:19:37
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