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2021.05.08
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  『海と山のピアノ』いしいしんじ(新潮文庫)

 わたくしこの作家も初めて読みました。
 しかし世の中には、いろんな才能をお持ちの作家がいらっしゃるものでありますなー。
 改めて感心しました。この筆者は、独創性ということで言うなら、かなり高いものをお持ちの方だと思います。

 今私は、独創性という言葉を使いましたが、(矛盾するようですが、)私は読んでいて、例えば、稲垣足穂のショートショート小説とか、中勘助の『銀の匙』(およそイメージは水と油ぐらいに違っていますが)、そして新感覚派のお二人の作家、川端康成(特に「浅草3部作」など初期のもの)と横光利一の作品を、ちらりと頭に浮かべました。

 しかし、さて作品の完成度としては、本書の短編小説と、上記私が挙げた「傑作群」との間には、まー、隔たったものがあるかなとも思い、では一体どこが違うのだろうと少し考えてみました。

 例えば川端康成が、『雪国』冒頭で「夜の底が白くなった。」と前文の脈絡からふっと飛び上がった一文を書き、横光利一が、短編『頭並びに腹』のこれも冒頭で「沿線の小駅は石のように黙殺された。」と同様に書いたとき、我々読み手の中に浮かぶ驚きや感心の中心は、やはり「詩情」ではないでしょうか。
 こんな「アクロバティック」な文章を読まされるとき、言葉と言葉の間にこのポエジィがなければ、読み手は混乱し、そしてそれが重なると読みづらさが募ってきます。

 実は、本書には九つの短編が収録されているのですが、私としては、その半分くらいがかなり読みづらい作品でした。
 例えば、こんな文章が続いていたりします。

​ かすかにひびいてくる口笛のようななにかは、たしかに、鼓膜に共鳴する空気振動とはちがった。耳でなく、からだじゅうを澄ませると、声の響きはより太くなった。音っていうより、もっと深い、あらゆるものの振動。ばあちゃんの声が響かせているなにかの上に、僕は、蝉は、魚や樹木たちは、ひとりずつ足をめりこませて立っていた。まわりじゅうの空気がぱちぱちと爆ぜている。気がつけば、家の内外、ありとあらゆるところから銀色のばあちゃんの声がにじんでいる。​

 読者は、言葉間にイメージの大きな飛躍がある文脈を読んでいくことになります。その時、言葉と言葉の間のジャンプの中に、快いポエジィが感じられないならば、読む行為そのものがぶつぶつに途切れてしまい、読み続けるのに甚だしい困難が生じます。
 私は、「不毛」という言葉さえ浮かんでしまいました。

 しかし、にもかかわらず、この作家の一番のオリジナリティは、文脈の中のそんなとんでもなく飛躍した言葉の連続にあります。

 上記に私は、九作中半分は読みづらかったと書きましたが、そのようにはあまり感じなかった残り半分のうち、一番面白かったのは短編集の冒頭の「ふるさと」という作品でした。
 なぜ、この話が一番読みよかったかというと、ここの文章が、一番おもちゃ箱をひっくり返したようではなかったからです。いわゆる「リアリズム」の尻尾が一番きっちりと残っていたからです。

 この話のきっかけになっているものは、「村うつり」という、村全体が定期的に引っ越していくという挿話です。
 この発想の秀逸さもさることながら、「村うつり」という言葉がいいですよね。

 いえ本当は、本書の九つの短編のほとんどの最初のエピソード、あるいはそこに近い言葉の選択には、どれもなかなか興味深いポエジィあふれるものがあります。
 それは、かなり自由なフィクションに向かって開かれた扉であると言えそうです。

 例えば「海と山のピアノ」は、グランドピアノが海岸に打ち寄せられるというすてきな場面から始まります。
 作品のタイトルにもなっている「あたらしい熊」という短編は、そもそもの「あたらしい熊」という言葉のイメージが、とても斬新で素晴らしいではありませんか。
 作品冒頭から、どんな面白い世界に今から連れて行ってくれるのだろうか、という期待が湧き上がってきます。

 ところが、その後の「フィクション=嘘」の展開が、なかなか難しそうです。
 安易にファンタジーの世界に行ってしまわず、一定のリアリズムを保ったままで、一つの「嘘」のきっかけをトーンを下げることなく構造的に次々と展開していくというのは、思いの外に、難しいものであるようですね。

 上記に少し紹介した「ふるさと」という話(本短編集の中では多分一番「嘘」が少ないお話)は、分かりやすくたとえてみれば、アニメ映画『となりのトトロ』の主人公の女の子の「メイちゃん」が成人して都会に住むようになった後、ふとふるさとにトトロを探しに戻るというような話です。
 リアリズムの中で、トトロは見つかるのかというエンディングは、やはり難しそうですが、本作はかなり善戦していると思います。(ひょっとすればその評価は、私の好みによる善戦なのかもしれませんが。)

 そんな時、筆者は、様々な色彩のイメージを放っている個性的な言葉をそこに選ぶことで紡ごうと思ったのかもしれません。(もちろんその逆、言葉の洪水がまずあって、それを下支えするストーリーが後に紡がれていった、というのも考えられますが。)

 しかしそんなわがままな言葉たちのコントロールは、それに輪をかけてきっと難しく、そして読者の私は、そこに少々戸惑いと読みづらさを感じました。
 一つずつ言葉を追っても焦点のあった像はなかなか浮かばず、視界は広がらず、話の展開の細部があまり見えません。

 文脈から論理性を抜き去った作品というものは、ないわけではありませんが、そこには、それに代わる文章の推進力(そんな一つがきっと「詩情」でしょうか)が必要だと思います。

 ともあれ、私としては、そんなことを少し考えた短編集でした。
 しかし冒頭に高い独創性を指摘しましたが、これだけ他を引き離して屹立しているような独創性は、やはり極めて貴重な、注目に値する作品のあかしだと思います。


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Last updated  2021.05.23 11:01:02
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