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2021.06.20
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カテゴリ:昭和~・評論家
  『文壇アイドル論』斎藤美奈子(岩波書店)

 図書館で借りてきました。
 この筆者は、最初の頃の『妊娠小説』あたりからわりと好きでした。どこが好きかというと、何というか、フットワークの良さ、みたいなものを感じたんですね。
 じゃ、フットワークというのは何かと、更に尋ねられると、あー、何かよくわかりませぬ―。
 すみません。

 というわけでとにかく読み始めたのですが、……んー、何かー、何かちょっと違うんですね。
 フットワークがいいなーと私が感じる以外のものが、何かある、と。

 例えば、こんな文章。ここは、俵万智の『サラダ記念日』について書かれている個所です。

​ 折々に恋人の台詞を反芻し、浜辺やネット裏で恋人をじっと見つめ、それをいちいち三十一文字にしたためる女の子――ストーカー一歩手前とでもいうか、ちょっとヤバイ感じすらするものの、ストーカー=観察者に徹していればこそ、多様な景色や多彩な台詞をキャッチできたのだともいえるでしょう。​

 この「ストーカー」という単語ですよね。筆者がこの言葉を使った一つの理由は、読者サービスでしょうね。ユーモア感覚。これは、本書以外の筆者の作品にもよく見られる、筆者の文章の「読ませどころ」でもあるでしょう。

 ただ、もう一つの理由を考える、或いは感じるとしたら、やはり、まー、「悪意」でしょーかねー。
 じゃ、なんで、そんなものが入って来るのか。
 と思って、改めてタイトルを睨んでみると、「アイドル」って、何?

 そもそも私は、テレビなどのアイドルについての知識がほぼ皆無になって数十年を過ごしてきましたので、アイドルについての具体的な様態がまるで浮かんできません。
 あわせて、アイドルについての概念的なものも、何かよくわからなくなってしまいました。

 ただ、思ったのは、頭に何も付いてない「アイドル論」と、「○○アイドル論」は、かなりニュアンスが違うということであります。
 「○○」部には、多分業界的なものを入れるのでしょうが、例えば「政界アイドル論」「スポーツ界アイドル論」等々。

 ……なるほどねー。そもそもが批判的対象を描いているんだー。
 と、ここまできてやっと、自らのどんくささに気がつきました。
 そんなの、当たり前じゃないか、と。

 冒頭に図書館で借りたと書きましたが、最近の図書館本には、本来「帯」としてついていた部分が、表紙部分と裏表紙部分、二つに切られて、表紙の内側に貼ってあったりします。私は、読んでいる途中で気がついたのですが、本書のオビの文句(「腰巻文」っていうのですかね)には、「賞賛と罵倒の軌跡」とあるではありませんか。

 ……うーん、ただね、わたくし感じるのですが、この本には、はっきり言って「賞賛」はほぼ書かれてありませんよ。
 後で「梯子を外す」ための持ち上げがあるばかりです。

 ……うーん、(しつこく)ただね、例えば、村上春樹について書かれてあるところで、こんな指摘があるんですね。

​ (略)「春樹はなぜ僕らをシビレさせるのか」についての論文やエッセイなら、それこそ山のようにある。それより興味深いのは「なぜ彼らは春樹について語らずにはいられなかったか」です。​

 そして、このように続けます。

 彼らがシビれた文章とは、たとえばこんなやつを指すのでしょう。

 一九七三年九月、この小説はそこから始まる。それが入口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。(『1973年のピンボール』)

 上記に私が書いた「フットワーク」とは、私にとって、多分こんな展開のことを指すのだと思います。
 こういう展開を読むのが、もともと斎藤美奈子の文芸評論を読む、私の楽しみであったのでした。


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Last updated  2021.06.20 21:29:28
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