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2021.10.16
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カテゴリ:昭和~・評論家
  『村上春樹の世界』加藤典洋(講談社文芸文庫)
  『村上春樹は、むずかしい』加藤典洋(岩波新書)

 この度上記の2冊を立て続けに読みまして、取りあえず筆者が村上春樹の作品をどのように理解していったかが、何とかわかったような気がしました。
 いやー、2冊まとめて読みますと、「力作」という感じがひしひしとして、なかなか読みごたえがありました。

 そんな力作の濃厚な内容を簡単にまとめることは、到底私の力量の及ぶところではありません。
 ただ、私の「すごいなー」と思った感想の説明について、以下に、少しがんばって書いてみたいと思います。

 まず筆者にとって、なぜ村上春樹なのかということが、2冊ともの最初の方の文章に書かれてありますが、まとめますと、二つの理由です。

 一つ目。村上春樹がその仕事の幅の広さにおいて、今まで日本文学史になかったタイプの小説家だということ。

 これについては、なるほど言われる通りだと思いますね。こんなに勤勉に様々な作品を次々発表し続けた作家って(それも長期にわたって)、たぶんいないように思います。(近いのは三島由紀夫くらいかなーとも思いますが、彼は自殺したせいで20年ほどの小説家実働期間であります。)

 しかし筆者にとってもっと大切な、なぜ村上春樹なのかの理由は、二つ目であります。
 『むずかしい』(『村上春樹は、むずかしい』を指す。以下同じく『世界』→『村上春樹の世界』を指す)にこうあります。

​ 日本の文学世界はいまや彼を排除する理由をもたず、彼に手を広げ、彼を迎えいれようとしているのだが、この変化は、必ずしも村上の作品の文学的な力によって、従来の考え方、文学的な価値基準を変えさせられ、新しく日本の文学世界自身が自分を更新した結果、生じてきたものではない。要は、気概を失い、村上作品の人気と商品としての力に、日本の文学世界の全体が拝跪した。​

​ そして、「村上に文学的に対峙しようという姿勢を放棄して久しい」とあります。​

 なるほど、これはひょっとすると小説家にとって新しい形の「不幸」なのかもしれませんね。
 そこで、じゃあ自分が書こうということで、まぁ、筆者は書きだすのですが、その評論のスタイルについては、またこんな風に説明しています。

​ いまの文芸批評の多くが読み物であることを忌避し、病理解剖的になっていることを反省し、これとは違う、生きた対象としての小説に、いわば市井に生きる町医者として、あるいはクリニックの臨床心理士的に、向き合う批評を置いてみたい。(『世界』)​

 これについても、読んでいると本当にそれっぽく感じます。
 なんと言いますか、なんかちょっと「古臭い」感じなんですね。でも、「古臭い」ゆえに、肌のぬくもりを感じるといいますか、そういえば、かつて文芸評論は、そのままその時代の社会批判であったり現代思想であったりしたような時期があったなあ、と思い出させるような書きぶりです。

 以下、筆者はその形に則って村上作品文芸批評を描いていきます。
 もう少し具体的にその方法論的なものを説明しますと、筆者は、村上春樹の各作品を村上春樹自身の「ビルドゥングス」として捉え、解釈していきます。

 それは、作品内のいろんな要素を、少し恣意的かつ乱暴に無視したりつなぎ合わせたりすることでありますが、その結果そこに現れた一本道は、極めて分かりやすい形となって我々の前に提示されます。

 箇条書き風に、少々私のバイアスも加えつつ村上春樹の「ビルドゥングス」跡を辿っていくと、こんな感じです。

 1.近代の「否定性」の否定期……マキシム的生き方
 2.マキシムの否定・デタッチメントの否定
 3.コミットメントのために……内閉性の否定
 4.新しい内閉性否定の模索……自己再発見の苦悩
 (えーっと、上記の用語の説明は、えー、すみません。取りあえずパスということで、重ねてすみません、各自で本書をお読みください。)

 大体こんな軌跡を描いて村上春樹は『騎士団長殺し』のあたりにいる、という解釈です。
 また、「4」の自己再発見とは、現在の村上自身の苦悩であると筆者は述べますが、一言でいうと、「自分はこれまで無条件で人を好きになったことがなかった」ということで、直近の長編短編小説の様々なシーンにこれが描かれていると筆者は指摘します。
 なかなかスリリングな分析部分であります。

 そしてその「苦悩=模索」の戦いの「並走者」が、以下の4つに広がっている(デタッチメント時代、村上には一つの「並走者」もなかった)と、さらなる筆者の分析は続きます。

 1.恋人 2.子供 3.父親 4.歴史

 ……なるほどねー。
 このように読んでいきますと、今に至る村上作品の難解さが、見事に霧が晴れるように一気に晴れて、遥か向こうまで見渡せるようですねー。
 うーん、これが、古き良き文芸評論の力でありましょうか。

 ただあと少し、私に一抹の「予感」として残るのは、さて本当にそんな一本道で村上春樹諸作品が読めるのかな、という「危惧」であります。

 まー、それは、これから一冊一冊村上作品を再読再々読せよという、なかなか楽しそうな「証明作業」でありましょうか……。


 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 





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Last updated  2021.10.16 19:49:42
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