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2021.10.30
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カテゴリ:昭和期・中間小説
  『沙羅乙女』獅子文六(ちくま文庫)

 獅子文六作品の読書報告は3作目であります。
 まず『てんやわんや』を読んで、何だかもうひとつ面白くなかったような報告をしました。でも、あまり記憶に残っていません。
 次に『コーヒーと恋愛』の読書報告をして、これはとても面白かったと書いています。ストーリーそのものはやはりほぼ忘れましたが、好印象の記憶は残っています。

 そして3作目ですが、これは何というか、まー、やはり読後感は、あっけにとられるというのが正解でしょう。
 そして、後味は苦い、と。

 しかし私も、少しはいろんな小説を読んできたつもりですが、短編小説ならともかく、これくらいの長編小説で(文庫本で本文が377ページです)、これだけあっけにとられる思いをさせる終末部を持つ作品を読んだのは、本作が初めてです。

 いきおい本作をどう評価するのかというのは、この終末部の存在をどう考えるのかということにならざるを得ないと思います。

 では、どう考えるのか。
 ポイントは2つだと思います。
 まず1つ目、作者はこのエンディングをどのあたりで意図したのか、ということ。

 これこれはなかなか難しい問題ですよねー。
 ストーリーの自然な流れとか、伏線めいたものの存在はないかとかを、きっちりと読み直していかなければいけませんものね。

 ここはざっくり、無責任に、私の勝手な読みを書きます。
 章立てで言いますと、終りから3つ目の「男と男」のあたりじゃないか、と。
 この辺りを書いているうちに、作者は、現在のあっけにとられるようなエンディングに決めたのではないか、と。

 その証拠はどこにある、と言われますと、えー、かなり困るのですが、ね。
 ごく弱い状況証拠らしいものが一つだけ。

 それは、この場面の小岩井日出子の行動です。
 この場面の日出子の行動は、今までそれなりに書き込まれていた恋のライバル日出子像としては、あまりに乱暴というか非常識で、整合性に欠けるように思います。
 本当ならもう少し常識的な対応があって、そして、もう少しこの先まで続く展開が考えられるべきではなかったかと。
 事実ここで、塙と日出子の話は見事にぶつりと途切れて終わってしまいます。
 私は、エンディングに向かって、作者が少し無理をしたんじゃないかと、思った訳です。

 というわけで、取りあえず、終末部直前のところで、現在の終わり方になったと、(やや無理やりに)考えます。

 では次に、なぜこの形にせねばならなかったのか、という問題ですね。これが2つ目のポイント。
 というより、本当はこちらを先に考えるべきだったのかもしれませんが、とにかく2つ目のポイントです。

 本作品は、昭和13年7月から12月まで東京日日新聞に連載された新聞小説であります。既に中国での戦争は始まっており、アメリカとの開戦も間近であります。
 当然考えられるのは、それなりの筋からの「横やり」でしょうかねー。

 それなりの筋からの、小説に対する横やりと言えば、有名なのは同時代の谷崎潤一郎の『細雪』に対する軍部からの掲載中止でしょう。
 ちょっと調べてみましたら、あの事件は昭和18年なんですね。既に太平洋戦争が始まっています。
 それと状況を比べると、昭和13年の本作への「横やり」というのは、ちょっと早すぎないですかね。(これもにわか知識で申し訳ないですが、政府による芸術作品への検閲がひどくなるのは昭和12年頃からだそうです。)

 それに作品内容が全然違いますよね。
 谷崎のは、ブルジョア姉妹の優雅な生活絵巻。一方こちらは、勤労少女の、手に汗握る苦労話ではありませんか。

 とすれば、ひょっとしたらいかにも日本人っぽい「自粛」あるいは「忖度」めいたものだったのかもしれませんね。
 うーん、ちょっとイヤに方向に進みそうですねー。

 ……まー、ともあれ、そんな状況下で現在のエンディングに向かって書き進めていった時、作者は作品をどんな風に書き込んでいったのか、それを最後に探ろうと思います。
 しかし、これはもう明らか、というか、あまりにも何も書き込んでいません。

 上記に本文377ページと書きましたが、371ページ目に主人公級の人物に召集令状が来ます。
 そして残り6ページ少しで、今までのストーリーをほとんど崩壊させて、小説は突然終わってしまいます。
 これに我々は、驚きあきれるわけですねー。

 ……えー、ここでわたくし、じーと考えてみたんですね。まー、下手の考え休むに似たりなんですけれど。
 で、思ったのは、このエンディングはあまりと言えばあまりにヒドくはないか、と。
 ほとんどやけくそのようなエンディングであります。

 でも作者は、自分で書いていてこのやけくそさに気がつかないのでしょうか。
 そんなはずはないでしょう。
 では、気がついていて、それでもなお、もう作品の出来も読者へのサービス精神も、そんなものはみんなどうでもいい、というやけっぱちで作者はいたのでしょうか。

 それもやはり、ないんじゃないかと私は思います。
 だとすれば、なぜか。

 作者は、作品の最後にこの決定的にゆがんだ終末部をあえて書くことで、表現の自由が失われて行くこの息苦しい時代への批判を、そんな文言や表現は一切使わずに、自らの小説を崩してしまうという手法を使って読者に感じさせたのだというのは、あまりに穿った読み方でありましょうか。

 そしてもし、そこに狙いがあるのならば、上記に私は終末近くで本作の展開はゆがめられたと書きましたがそれは私の読み違いで、作者は作品冒頭から、壊すために積み上げる作業を370ページ行なうことを、まさに自らに科して書いたのかもしれません。

 なるほど、少なくとも、この読みの方がスリリングですよね。


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Last updated  2021.10.30 10:23:38
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