|
全て
| カテゴリ未分類
| 明治期・反自然漱石
| 大正期・白樺派
| 明治期・写実主義
| 昭和期・歴史小説
| 平成期・平成期作家
| 昭和期・後半
| 昭和期・一次戦後派
| 昭和期・三十年代
| 昭和期・プロ文学
| 大正期・私小説
| 明治期・耽美主義
| 明治期・明治末期
| 昭和期・内向の世代
| 昭和期・昭和十年代
| 明治期・浪漫主義
| 昭和期・第三の新人
| 大正期・大正期全般
| 昭和期・新感覚派
| 昭和~平成・評論家
| 昭和期・新戯作派
| 昭和期・二次戦後派
| 昭和期・三十年女性
| 昭和期・後半女性
| 昭和期・中間小説
| 昭和期・新興芸術派
| 昭和期・新心理主義
| 明治期・自然主義
| 昭和期・転向文学
| 昭和期・他の芸術派
| 明治~昭和・詩歌俳人
| 明治期・反自然鴎外
| 明治~平成・劇作家
| 大正期・新現実主義
| 明治期・開化過渡期
| 令和期・令和期の作家
カテゴリ:昭和~平成・評論家
『村上春樹はノーベル賞をとれるのか?』川村湊(光文社新書) 以前、よく似た感じのタイトルの本を読みました。あの時の本は、芥川賞だったと思います。(芥川賞の時は、なぜ取れなかったか、という本だったと思いますが。) ちょっと、ミーハーっぽい本でした。 今回もよく似たタイトルなので、図書館で手にした時は、これも、いわばまー、村上春樹御利益頂戴の本かなと思ったのですが、筆者の川村湊という人は、私はさほど読んでいませんが、割ときちんとした文芸評論家であるという印象を持っていたもので、まー、借りて読んでみました。 いえ、なかなか面白かったですね。 前書きに、毎年10月初めになると村上春樹のノーベル文学賞受賞なるかの大騒ぎが起こるが、できたら本書が売り切れる(そして増刷する)までは、受賞して欲しくないとあって、思わず笑ってしまいました。 しかし、中身は、そもそものノーベル文学賞とはどのようなものなのかについて、かなり詳しく書き込まれており(これも前書きに、村上春樹のノーベル賞受賞だけの話題では一冊の本にならないと正直に書いてあります)、この度私は大いに蒙を啓かれました。 開巻しばらく読んでいくと、「それは、ノーベル文学賞が必ずしも世界最高の優れた小説や詩などの”文学作品”を書いた人間に与えられるものではないということだ。」とあります。 その前後の説明を読むと、これもまー、考えれば当たり前といえば当たり前の話しながら、その年に現存する世界一の文学者は誰かなんて、言えるものではありませんよね。 じゃ、どうして受賞者を決めるのかというと、「ローテーション」であります。 言語別、国別、民族別、大陸別、地域別のローテーションを、かなり厳密に考慮して選考しているのであります。 (今回の本はノーベル文学賞だけの話ですが、考えればその他のノーベル賞だって、その年に生きている世界一の物理学者とか化学者なんてものが考えられない以上、きっと同じようなものなんでしょうね。) 私はこの度、そんなことをほとんど初めて理解したのですが、それは私が(人並み外れて)愚かであるからだとしても、ちょっと考えれば、そんなかなりいい加減な賞を、なぜ文学者が欲しがるのか、それについても筆者は指摘しています。 それは、受賞者と非受賞者との間に途方もなく大きな格差や差異を生み出すからだと書かれてあります。そしてそれは決して小さくないノーベル賞の罪である、と。 しかし一方で、その選択はおおむね妥当なものであり、意義も意味もある受賞と考えられると、両面からの分析があります。 (カフカ・ジョイス・プル―ストという、20世紀最大の文学者はそろって受賞してはいないというコメント付きで。) で、さて、村上春樹の受賞の可能性であります。 でも現時点で何も分からない以上、なかなか断定的なことは書きにくいだろうとは想像できます。 (本書には、ボブ・ディランの受賞はないだろうと書かれてあります。外れました。もちろんボブ・ディランの受賞決定以前です。) そこで筆者はナーバスにナーバスに、しかし「断定的」に、村上春樹の受賞はない、と書いています。 えー、と、いわばこの部分が、本書の「サビ」みたいなものですから、ひょっとしたら私がここでそれを勝手に報告するのは良くないことなのかもしれませんが、まー、その核心の理由はすでに上記に書いてしまっています。 ローテーション、です。 あと、ちょっとだけ、ローテーションの補足説明をして、ざっくり終わっておきますね。 幾つか書かれてある分析の中で、私が結構面白かったのは、二つです。 一つは、カズオ・イシグロのこと。 本書の出版は2016年で、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞は2017年であります。だから、もしイシグロが取ればという文脈の中で筆者は、イシグロは日系英国人だが彼が取ってしまうと、村上の受賞は次のローテーション、多分「村上春樹がとても待ちきれないような先」になるだろうとあります。……うーん。 二つ目は、「ローテーション」といっても、単純に日本人間のローテーション、つまり川端が取って何年かして大江が取って、そして次のローテーション、となるとはとても思えない、とあります。 つまり地域のローテーションです。 中国・韓国さらには東南アジアなど東アジア言語圏のローテーションという視点で考えると、(筆者の予想では)次のこの言語圏での受賞者は韓国人ではないか、なぜなら、次も日本人が受賞して、日本人3人韓国人0人になるとは思い難い、とあります。……うーん、うーん。 と、いうことで、なかなかスリリングに面白い本でした。 ついでに、三島由紀夫の自殺原因の一つに、「師」とする川端康成がノーベル文学賞を受賞したことがある(次のローテーションまでとても待てない)とされていますが、筆者は、川端がいなくても三島の受賞は多分なかったと書いています。この辺の記述も面白かったです。 ついでのついでに、ノーベル文学賞受賞者で後日自殺した人は、二人いるそうです。 一人は、川端康成。そして、もう一人は……。 まー、この作家も、少し考えれば思いつきますが(日本でもわりと読まれるアメリカ人作家)、私が面白いと思ったのはむしろ、たった二人しかいないのかということで、これは人間性と文学性の相関に、関係するのかしないのか、少し興味を持ちました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.11.14 20:47:23
コメント(0) | コメントを書く
[昭和~平成・評論家] カテゴリの最新記事
|
|