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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2022.02.06
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  『言文一致体の誕生……失われた近代を求めて1』橋本治(朝日新聞出版)

 例によって図書館で見つけた本ですが。
 いえ、図書館にこの本があることは、実はずっと前から知っていたのですが、ちょっとパラパラ読んで、この本はなかなか厄介そうだと敬遠していたわけです。
 その理由の一つは、これが三冊本であるから。
 理由その二は、3冊も例の橋本節を読まねばならないのかというビビり、ですね。

 以前私は、この筆者が三島由紀夫について書いていた長編評論を読みました。
 その評論が、わからない。なんとも、わからない。……
 そんなトラウマを、わたくし、持っていたんですね。
 で、怯んだ、と。ビビった、と。

 ではこの度、そんな本書をなぜ手にしたかといいますと、……んー、……えー、まあ、まちがい、みたいなものですかね。つい、借りてしまって、つい、読み始めてしまった、という。

 で、どうであったかといいますと、やはりとても「精読」というわけにはいきませんでした。でも何とか読めたのは、私が以前よりさらに馬齢を重ねて脳が老化し、よくわからないことにさほど抵抗がなくなったから、かな、と。ははは。
 というわけで、そんな読書報告を以下に始めます。

 上記に三冊本と書きましたが、これは合わせて、近代日本文学史についての長編評論なんですね。(タイトルもそんな感じになってますね。)
 で、その第一冊目ということで、どのあたりまで書いてくれるのかなーと思って読んでいきますと、まず、なかなか明治に行きつかない。鎌倉室町あたりで、行きつ戻りつしています。
 その後、やっと明治に入るのですが、文学史事項のどのあたりまで進むかといいますと、ざっくりいって、まー、タイトル通り。つまり、二葉亭四迷のことしか書いていません。二葉亭と言文一致体のことで終わっています。

 何故そんなことになるかといいますと、その理由は簡単です。
 筆者が細かいところに拘って拘って、これでもかというほどに膨大な資料を精読分析した結果、いっこも進まないんですね。
 それを以下に、全部は報告できませんので、ほんの少しだけ紹介します。

 さて筆者の批評の入り口はどこか、それは、筆者の評論をよくご存じの方は大体想像がつくと思いますが、とにかくまずそこに出てくる用語に拘るんですね。
 みんながわかっているつもりでいる基本的な用語に改めて拘り始めるわけで、でもこれって、本当はとても大切なことですよね。(常識や通説をまず疑うという橋本節の大きな魅力の一つであります。)

 つまり、「言文」って何? 「一致」させるってどういうこと? という感じですね。
 でも言われてみればその通りで、我々は中途半端な知識で「言文一致」とは、明治以降始まった文語文を口語文に移し替える運動くらいに理解していますが、もちろん橋本治はそんな常識など信じていません。
 短く引用するのは難しいのですが、少し抜き出してみますね。

​ ややこしいのは、「口語」に対する「文語」という概念である。「口語」に対する「文語」は「書き言葉」である。しかし、「文語体」は「文章に使われる書き言葉による文体」なんかではない。「口語体の文章」が一般的になってしまえば、「文章=書き言葉」なのだから、「文語体=口語体」になってしまい、「文語体」という概念を立てる意味がなくなる。「文語体」が「口語体」に対する概念であるのは、「文語体=古典の文体」と理解されているからである。現実には「書き言葉と話し言葉の対立」があると思われているが、実はそうではなくて、あるのは「古い言葉と新しい言葉の対立」なのである。​

 どうですか。つまり「口語体」と「文語体」とは対応していないというわけですね。
 この辺は結構面白い所で、例えば谷崎潤一郎なんかは違った理解の仕方をしていたとか、じゃあ「文語体」とは何かというと、それは漢文に他ならないとか、なかなか興味深い指摘が続くところです。

 とにかくこんな感じで一向に前に進まず、お盆と年末年始の大渋滞のなか、分析は延々と続いていくのですが、もう一か所だけ面白かったところを、これも入口の部分だけ、紹介してみます。

 上記に私は、この本は一冊丸ごと二葉亭四迷のことが書いてあると書きましたが、一部、二葉亭と比較して田山花袋の『蒲団』について触れられています。ここがまた、とても面白い。思わず吹き出してしまうところです。

 なぜ笑ってしまうかといえば、我々21世紀の人間が読めば、やはり『蒲団』は笑ってしまう作品だからです。
 でもその意味も含めて、『蒲団』は「現役の文学作品」であると筆者は評価します。(まあ筆者は、「現役」であるため「古典にするという手続きをはずされてしまったことが、この作品の不幸なのだ」とも書いていますが…。)

 しかし、全体として筆者の『蒲団』評価は高く、細かく読めば文脈の乱れや「ツッコミどころ満載の仰天すべき小説」ではあるが、この作品が間違いなく「近代日本文学の記念碑的作品」である理由を、端的にこう述べています。

​ (略)しかし、その読者達は、最後に至ってショックを受ける。どうしてかというと、ここに書かれていることが、「あまりにも恥ずかしくてみっともないこと」だからである。それが、公然と書かれている。「これは、紛れもない私自身のことである」と、作者は明言しているような気がする。だから、ショックを受ける――「よくもこんなことをはっきりと書けたなァ」と思って。そうして『蒲団』という作品は「その後の日本文学のあり方を決定する記念碑的作品」になってしまうのである。​

 ……なるほどねぇ、と思いますね。同時にこの分析は、日本文学のその後の在り方に対する厳しい批判が読みとれる部分でもあります。

 ……うーん、やはり橋本節、拘って拘って屁理屈と紙一重の異常な粘稠度で分析しきっているだけはありますねぇ。
 後に残ったわたくしの問題は、……続きの2冊を読もうか読むまいか、という事でありますが。……


 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 





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Last updated  2022.02.06 09:42:11
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