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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2022.03.03
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  『方丈記私記』堀田善衛(新潮文庫)

 わたくし本書は二度目の読書です。一度目に読んだのは、大学の一年生の時でした。
 なぜそんなことを覚えているかというと、私の入った大学の文学部一年生で、そんな授業をしていたからです。

 そんな授業とは何かといいますと、その先の文学研究ゼミの予告編的に、何か一つの作品(一人の作家でもよかったのかな)の研究入門をして、年度末には原稿用紙15枚だか20枚だかを提出することになっていました。

 そこで私は「方丈記」を選んだんですね。そして、参考文献の一つとして本書を読んだ、という事であります。
 ではなぜ私は「方丈記」を選んだか。
 多分あれこれ理由はあったと思いますが、今も覚えている理由が一つあります。
 それは、古典文学作品を一つ、とにかく原文で読み切ってみようということでした。

 この思いは、今考えてみるに、我ながら割と「健気」ですよね、そんなことないですか。
 御多聞に漏れずそれまでの私(高校生までの私)は、教科書や参考書やドリルであれこれ古典文学のほんの一部分には触れつつ、全部読み切った一冊の古典作品もなかったんですね。(今だって、一作全部原文で読み切った古典作品は、……えーと、……えーと、憚りながらあんまりないぞ。)

 とにかくそれで、「方丈記」にした、と。
 これなら古典として有名作品である上に、たとえ声に出して読んでも、十分読み切れる分量だ、と。(事実私は、後半あたりは音読したんですね。音読することで、とにかく間違いなく完璧に一作を読み切ったといえそうだと思ったからです。ね、健気でしょう?)

 というわたくしの健気な(しつこい)読書遍歴の一冊でありますが、この度読んでみて、本書は思っていた以上に「方丈記」のことに触れていないということがわかりました。
 なるほど、「私記」でありますね。
 この、読書報告をしながら実はあまりその対象作品に触れていないやり方は、まるでわたくしの読書報告ブログと同じではないですか。(わーーーーっ、違う違う。全然違う!)

 ……えー、閑話休題しまして、えー、『方丈記私記』とタイトルしながら「方丈記」にあまり触れられていないとすると、本書には何が書いてあるのか。

 それが、なかなか、よくわからないんですね。
 もちろん、まるでわからないわけではありません。
 堀田善衛の第二次世界大戦の体験を「方丈記」作者鴨長明の体験と重ね合わせて描こうとしているんですね。
 筆者は、なぜ「方丈記」を何度も読み返したのかについて、このように書いています。

​ それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭逢してのわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に資してくれるものがここにある、またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがある、と感じたからであった。​

 (いろいろ思い出してきたのですが、「方丈記」は大きく二部に分かれていて、前半が平安末期源平の争乱を描き、後半は長明出家後の日野山での閑居生活を描いています。古来、この前後半の優劣比較がありましたが、この「私記」は、前半を大いに認めている代表的評論という評価でした。)

 しかし、その前半についても、思いのほかに作品細部の分析は少なく、そのかわりちょうど真ん中あたりから、大きく話題となってきたのが多分、「歴史認識・歴史観」というもの(言葉)であります。

 ところがその説明が、まー、わたくしのアバウトな頭脳構造ゆえでありましょうが、どーも、よくわからないんですね。
 そのわからなさを以下に綴ろうとは思うのですが、いかんせん、わからないものを綴るのですから、それはまー、ねー、ということで。

 筆者は、そもそも長明にはきわめて鋭い歴史認識があったと説きます。そしてそれは、長明の現場主義・実証精神から生まれ、またその実践がフィードバックして長明の歴史認識をますます鋭くしていったと前提づけます。

 そしてその長明の歴史認識を裏付けているのが、歴史の持続性である、と。
 (……。この辺のまとめが、実はわたくしよくわからないんですねぇ。私が誤読しているのかもしれません。)

 しかし、「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。」
 晩年の長明は、鎌倉に旅し、鎌倉の今日の姿を見ます。しかしそこに新しいものは何もなかった。その認識の直後、「方丈記」は成立します。
 筆者はこのように記しています。

 ​方丈記は、このときの鎌倉旅行のほぼ明る年にさっと書き下ろされたものであった。​

 また、こう書きます。

 ​政治と歴史を、最終的に鎌倉経由で突き抜けて、自己一身の「私」に彼は引き絞る(略)。​

 そして自らの歴史認識を捨てた長明の表現こそが、「方丈記」冒頭の「ゆく河の流れは絶へずして、しかももとの水にあらず」であり、「不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」であり、その裏付けの認識は、次の一文に現れていると説きます。この一文。

 ​夫、三界は只心ひとつなり。​

 ……さて、群盲撫象式のわたくしの読書報告ですが、もうそろそろ限界であります。
 この「方丈記」原文の筆者の解釈についても書かれてはいるのですが、わたくし、そのまとめには自信がありません。

 ただ最後に、どうしても一つ、わかりたいことがあります。
 筆者はこの「夫、三界は只心ひとつなり。」の長明の晩年の立ち位置を、どの程度肯定(あるいはどの程度否定)しているのかということです。
 筆者ははたして、上記に私が引用した、「戦禍に遭逢してのわれわれ日本人民の」未来の「処し方を解き明かすためのよすが」を手に入れることができたのでしょうか。

 というのは、この度の私の拙い読みでは、あまり肯定していないように見えるからで、……それで間違っていないのでしょうか。……。


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Last updated  2022.03.03 15:29:21
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