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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2022.06.18
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『あの子の考えることは変』本谷有希子(講談社)

 養老孟司のベストセラー『バカの壁』に、「バカの壁」とは何かの説明として、東大医学部の学生に授業をしていたら、もっとわかりやすく説明しろと何度となく言われ、業を煮やした筆者が、君は臨産婦の陣痛の痛みが本当に言葉で説明しきることができると思うかと迫ったら、絶句したというエピソードがあって、「バカの壁」とはこのことだという説明が、確かあったような、そんな気がするのですが、……えー、ちょっと心許ない……。

 突然何の話から始まったかと申しますと、私もいたずらに馬齢を重ね、今更になって、冒頭の小説の主人公、23歳で一人で東京でアルバイト暮らしをしている女性の心情が、実際のところほとんどわからないということに、本書を読み終えて、プールに行って1キロくらい泳ぎながらぼんやり考えて、でも、やはりよくわからないと気づいたと言うことであります。

 養老孟司の言っていることは、詰まるところ言語コミュニケーションの限界と言うことでしょう。
 ついでに上記の養老のエピソードには後半があって、そんな風に言葉では説明しきることはできなくても、500例くらいも出産の臨床をすれば、妊婦の陣痛の痛みがわかってくる、という展開だったと思います。(ちょっと違ったかもしれません。すみません。)

 で、さて、小説とははたして、言語コミュニケーションなのでしょうか、500の出産の臨床なのでしょうか。

 タイトルからも連想できそうですが、この小説に出てくる女性は二人いまして、一人称の方(一応主人公ですかね)が「巡谷」、三人称の方が「日田」で、どちらも上記の簡単な説明のような設定になっていますが、彼女たちの考えることは確かに「変」です。

 どう「変」かというと、それがまー、「遊び」のように「変」なんですね。
 「遊び」のように「変」って、この説明も大概なものだとは思いますが、これもなんと言うか、生活実態のない思考とそれに基づく行動形態、という感じでありましょうか。

 引用がうまくできればいいのですが、なんかどこがどうなっているのかよくわからないところがありまして(よーするに思考の流れが普通によく読めないんですね)、取り敢えずはじめの方の短い挿話をひとつ抜き出してみますね。

 部屋にやって来た日田が、暇だからあなたの人生にタイトルをつけます、と言い出して『巡谷の、突然死にたくなる一億の瞬間と、それ以外。』と寝そべりながら、ノートに書いた。
「何それ。」
「いや。なんか、普段の巡谷見てての印象だけど。特に深い意味はないんだけど。」
 深い意味なくないだろ。突然死にたくなる一億の瞬間って。

 どうですか。
 こういうのって、センス、なんですかね。
 悪くないですよね。でも、ここは軽いところですが、こんなのの重い話や軽い話が全編にいっぱい書かれているんですね。
 ……、んー、ちょっと、これって、何なのって、思ってしまいます。

 つまり、なんでこんなものの考え方になるのか、どう成長したらこんな人格ができあがるのか、ということで、これにリアリティはあるのかと言い直してもいいのですが、まー、戸惑うわけです。
 そこで、はたと思い至ったのが、上記の、そもそも東京に一人で暮らす23歳の女性のリアリティが私にわかるのかということであります。

 でも例えば、おまえに漱石の『三四郎』の里見美禰子のリアリティが理解できるかと問われたならば、断定はできないまでも少なくとも共感できるところまでは理解できると、きっと私は答えそうです。
 何を根拠にとさらに突っ込まれれば、それは漱石の作品の書き込みゆえに、と答えそうであります。

 さて、作中の「日田」は自らについてこんな風にも語っています。

「……じゃあ巡谷はさ、一回でいいから私の孤独、ちゃんと想像してみてくれたことあるの?」と呟いた。
「もういい! あんた、うるさいよ!」
「ねえ、巡谷。一回でもいいから想像してみてよ……! 私の孤独! すさまじいから……!」

 孤独が、その原因なのかあるいは結果なのか、ともかくキーワードとして出てきますが、どちらにしても孤独に極めて近いものの姿がこの人物たちの「変」さであるとは、どうもわたくし、理解しきれません。

 もっとも、それだけではなく、実はこの二人の人物たちもかみ合っていそうであまりかみ合っていませんし、もう一人出てくる男の登場人物も、やや段取り的書き込みで主人公たちと有機的関係ができているようには読めませんでした。

 以前同筆者の小説の文庫本を読んだとき、解説文に「こじらせ女子」という言葉が出てきて私は興味深く思いましたが、本小説の女子たちの「こじらせ」ぶりについても納得できなければならないなら、これはちょっと、もはやわたくしは、このテの現代小説には「縁なき衆生」なのではないかと、この度、戸惑い考えるものであります。……。


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Last updated  2022.06.18 12:46:22
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