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カテゴリ:昭和期・二次戦後派
『美しい星』三島由紀夫(新潮文庫) 先日、アマゾンプライムで『シン・ウルトラマン』を見ていたら、宇宙人同士が居酒屋で酒を飲みながら今後地球人をどのようにするかと話し合っている場面がありました。 そこを見ていて私は、何というか、変なデジャブ感にとらわれました。 あれ、何か、どこかで見たような気がすると、あれこれ考えていたら、あっと気がついたのは、この三島由紀夫の『美しい星』でした。 それは、どこかで見たのではなくて本の中で読んだ、本書の終盤1/3くらいから描かれてた自称宇宙人同士の、地球人をいかにするかという「大論争」の場面であったわけです。 そしてさらに、私は『シン・ウルトラマン』を見ながら、この映画の宇宙人には、それなりに「リアリティ」(ひょっとしたら「リアリティ」という言葉はふさわしくないのかも知れませんが)を感じるのに、なぜ三島の小説の宇宙人には違和感を感じるのかが、少し気になりました。 うーん、と考えたのですが、やはりよく分からなかったですね。 ただ私は本小説を読んでいて、特に前の半分くらいまでは、結局の所この「宇宙人のリアリティ」が引っかかって、あまり面白く感じられませんでした。 そして、なんだかとても「古くさい」感じがしました。 でも、「古くさい」って、変じゃないですか。 もっとも、「古くさい」という感覚は、われわれは近い過去のものに対して感じるもので、遠い過去のものに対しては感じないという説を読んだ気もしますから、先日読んでいた夏目漱石の小説には感じなかった「古くささ」を、この度の三島由紀夫の小説に感じるのは、さほど変な話ではないのかもしれません。 ただ、読んでいて思ったのは、この「古くささ」は、筆者が誠実に宇宙人のリアリティを、展開を通して作り上げているからじゃないかということでした。 そしてそれは、おそらく現代の小説家は、もはやあまり用いない手法じゃないか、とも。 少し前の拙ブログにも書きましたが、例えば村上春樹は『騎士団長殺し』で、そこに至るまでは様々の謎をちりばめつつも(村上春樹「得意」の、回収しない伏線ですが)、それなりのリアリズムで描いていた小説に、いきなり「騎士団長」を出してきます。 現代は、そんな小説が主流とはいわないまでも、そんな展開でもリアリズム小説としてわれわれは読む(読まされる)訳ですね。 だから、三島由紀夫が、三島一流の明晰かつ絢爛な語彙と論理性で「誠実」に宇宙人のリアリティを形作る特に前半の展開は、今となってはかえってなんだか「古くさい」と感じてしまうのではないかと、わたくしはそんな風に考えたのでした。 一方、一応宇宙人のリアリティが「保証」された中盤以降は、私は結構面白くを読み進めていきました。 そして、2/3ほど読んだ先に、上記にも触れた自称宇宙人同士の、人類の存続を(非存続を)いかにするかという大論争が始まります。 実はわたくし、この小説は、うん十年を隔てての再読でありました。 前回読んだ時のことはほぼ覚えていなかったのですが、この大論争が、宇宙人的視点で描かれた、人類の長所短所の比較をしていたというのは薄い記憶の中に残っていました。 今回再読して、やはり筆者はここが書きたかったんだろうなという気が強くします。 では、書きたかったこの部分とは何だろうとふと思い、そして、少し考えました。 世界の東西問題や核など、時代的なものもかなり影響していたと思います。 ただ私が思ったのは、あれだけ様々な作品で戦後日本の民主主義に対する嫌悪を描き続けた作者が、それを改めて分析したのではなくて、なぜ自分はこうまで戦後日本の民主主義に嫌悪を持つのかを分析したのじゃないか、ということでした。 解説文によると、本書連載の前々年には『憂国』が、前年には『十日の菊』が書かれ、翌年には『剣』などが書かれています。自らの資質に則った作品の間に、自らの問題としての嫌悪の正体を探るというのは、いかにもありそうなことではないかと、わたくし愚考した次第であります。 さて、冒頭に「宇宙人のリアリズム」についての私のこだわりについて書きましたが、本書を読み終えて、やはりその違和感は拭いきれなかったものの、ひとつ思いついたことがありました。 いえそれは、相変わらずわがまま勝手な私の思いつきに過ぎないものなのですが、それはこんなことです。 筆者にとっての宇宙人とは、筆者にとっての、例えば『憂国』で描いた「割腹自殺」と同じものではなかったか。 筆者が宇宙人を本当に信じていたか否かという問いの立て方自体が、あるいはピントを外していたのではなかったか、と。
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Last updated
2022.12.11 19:44:31
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