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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2023.04.10
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  『模範卿』リービ英雄(集英社文庫)

 なかなかの問題作と、わたくし、思いました。
 あれこれ考えたのですが、(まー、下手の考えではありますがー)本書に私がなじめないポイントをざっくり言うと以下のようになります。(いきなりなじめないから入るのは、そこ以外はかなり「なじめた」からであります。)

 極端に個性的な半生を送った主人公の、自らの過去の語りを、我々はどの程度リアリティを持って受け入れることができるのか、という……。

 さほどに、筆者の特に幼少年期の環境は、特徴的であります。
 ただ、そう感じるのは、「島国日本」で呆けたような人生を今まで送ってきたわたくしゆえのことでないのか、くらいの「客観性」は、いちおー、持っております。

 例えば少し前に読みました『悪童日記』の筆者アゴタ・クリストフが体験した生涯の「言語の変遷」も、はなはだしいものがあります。(「言語の変遷」と今私が書いたのは、使用する言語が何度も(強制的に)変更させられるという意味です。ついでに、「変遷」するものは「所属(させられる)国家」でもあります。)

 つまり日本にいるからそんな人生を「特殊」と感じてしまうのですが、ヨーロッパあたりに行けば、少なくない人間にとってザラにある成長期の言語環境であるということも、なんとなく理解はしています。

 本書のテーマの一つはそんな、いわゆる「越境文学」のなかでも、特に、読んでいてほとんど母語が崩壊している主人公が、自らの言語体験を辿る中からアイデンティティを模索していくという話であります。

 この作家の「不幸」(あるいはこれはほぼ「幸運」と同義語ですが)は、その半生が、人間の成長期の言語獲得というフィールドにおいて、かなり異様であったにもかかわらず、その言語を第一の必要能力とする職業についてしまったことでありましょう。
 そう思ってしまうほどに、主人公の苦悩はひりひりと深いです。(上記に「幸運」と書いたのは、一般論として文学は、やはり苦悩から生まれるものだからであります。)

 さて、もう少し具体的に考えてみます。
 これも私の個人的な印象批評ですが、本書の文体はどうも読みにくいと感じました。滑らかに進んでいかない。
 どうしてなのかと考え付いたのは、この本文にはエクスキューズがとても多いのじゃないかということです。それは、とにかく正確に書こうとしているのではないか、と。

 じゃ、なぜそうなのか。
 んー……、かなり乱暴に(かつ先入観と共に)いえば、母語じゃないからでしょうかね。
 というより、上記にも少し触れましたが、筆者は、英語・日本語・多種の中国語(台湾の言葉・大陸の様々な地域の言葉など)を内面に輻輳して持つことで、思考と言語のかなり深いつながりの部分において自覚的に混乱、あるいは崩壊しているということを、様々な場面で描いています。
 (それを作中に、多和田葉子の表現と注して「かかとを失くす」と書かれており、うーん、これは筆者と多和田とどちらを誉めればいいのか、なかなかすごい表現だなあと思いました。)

 ただ、読んでいて少ししっくりこないのは、上記に挙げた言語のうち、英語と多種の中国語の内面の混乱については再三描かれておりながら、実際この作品を書いた日本語(筆者にとっての日本語の意味)については、十分に深く描けているとは思えませんでした。
 (「ゴーイング・ネイティブ」という作品の中に、パールバックはなぜ中国語で書かなかったのかという問いかけがあって、ぎりぎりまで迫りながら、やはり説得力豊かに自らの日本語を振り返るまでは描かれていないと思いました。あわせて、「ゴーイング・ネイティブ」という短編は、本書全体の謎解きのような興味深い作品でもあります。)

 さて、上記に私は、筆者の言語苦悩を本書のテーマの一つと書きました。
 本書には、もう一つテーマがあると思います。
 それは、「私小説」(「私小説」で書くことの意味)でありましょう。
 それについては、じかに筆者が短くこのように触れています。

​ アメリカの少年として体験した風景の上をすれすれに飛びながら、大人のアメリカ人たちと違ってそのことを誰にも打ち明けない。むしろそのことにもとづいて「私小説」を書く、その中で回想は単なる回想なのか、それとももう一つの意味に結晶されるのか、試されるのだ、と思いをめぐらしているうちに、JAL機がなめらかに台湾の土に着陸した。​

 筆者はさりげなく「私小説」の意味を、自らの体験を別の意味に結晶させることと書いています。
 実は本書の「私小説」としての意匠は、かなり破格なものです。
 一人称の名前は筆者自身で、ほかの小説家の名前や作品の引用、また過去の自作品の引用(小説ではないものまで)などが出てきます。

 これは、長い私小説の伝統を持つ日本文学の中でも、かなり異例と思います。(近い所を考えると、大江健三郎あたり、いや、かなり違いますか。)

 これは結局のところ何なんでしょうか。
 私が個人的に、現代文学全体に共通するテーマの一つと考えているものになぞりますと、寿命を迎えつつある小説の写実主義的表現に変わるものの模索、かな思います。

 そんなわけで、本作は、わたくし、なかなかの「問題作」と、冒頭で触れさせていただいた次第であります。

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Last updated  2023.04.10 21:27:02
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今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…

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