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カテゴリ:明治期・明治末期
『冥途・旅順入城式』内田百閒(岩波文庫) この文庫本には、標題のとおり『冥途』と『旅順入城式』という2冊の短編集が一冊にまとめて収録されています。 ほとんどが数ページくらいのきわめて短い短編小説で(一作だけ少し長いのがあります)、『冥途』の方は18編、『旅順…』の方は29編、合計で47編の短編小説集です。 『旅順…』に、前書きのような筆者の文章がついていて、ざっくりまとめるとこんなことが書かれてあります。 自分は『冥途』をまとめるのに10年かかった、『旅順…』をまとめるのにまた10年かかった、その間、関東大震災があった、うんぬん。 つまり20年で47編だから、一年に2~3編の小説を書いていたんですね。(一応、書かれたのがこの作品集の作品だけと考えて。) ……うーん、なるほど。 だとすれば、読むほうも、そのままの日数をかけてとはいかないまでも、せめて一日1編、ひと月半くらいで読み終えるくらいであるべきではなかったか、と。 と、まあ、そんなことを思ったのは、実はわたくし本書を3日間くらいで読んだんですね。 最初の10編くらいまでは確かに面白かったですよ。唸るような筆者の文章力にほれぼれしました。 描かれているのは、結局のところ、皮膚感覚のような恐怖感覚で外界に疎外されている生の実態、と、そんな感じですか。 皮膚病のような不快感というものが、実に多彩に描かれて、そして終盤、いきなり大地の底が抜けて、異界に茫然と放り出されたような感覚でぷつりと終わっています。 引用しだすと切りがなくなるのですが、一つだけ抜き出してみますね。こんな感じです。 それから私は長い間待っていた。女は何時迄たっても帰って来なかった。そのうちに、私は腹が立って、ひとりでに歯ぎしりをする様な気持ちになったり、又何だかわからない熱いものが咽喉の奥から出て来て、口の中じゅうに拡がるように思われたりした。すると私は急に顎の裏や、頬の内側がくすぐったくなって来たので、舌で撫でるようにして見たら、口の中一杯に、毛が生え出しているらしかった。私は驚いて、口の中に指を突込んで見たら、柔らかな湿れた毛が、口の中一面に生え伸びていた。そうして、まだ段段伸びて来そうだった。もっと長くなれば、仕舞には唇の外にのぞくかも知れない。女が帰って来て、私に接吻しに来たらどうしようかと思った。すると又、急に女がどこかで、何人かと接吻している様な気がした。すると又、咽喉の奥から、熱いものが出て来て、口の中の毛が少しばかり伸びた様に思われた。 どうですか。よくこんな事を思いつくなあと少々呆れつつ、しかし考えれば、内田百閒の小説といえば、玄人好みであるという感じが確かにします。この文章力も含めて。 ただ、とはいえ、もちろんワンパターンでは絶対にないながら、こんな話を一気に10編くらいも続けて読むと、それはそれ、ちょっとツライ……。 今、ワンパターンではないと書きましたが、実際細部の描写はよくこれだけ手を変え品を変え皮膚感覚的恐怖感を描写することができるものだと感心はしつつ、しかし大きな枠の作りでいえば、やはり「パターン化」しているともいえそうです。 それはまとめれば、例えばこんな感じ。 AがBしてCになったのでDでした、というのが普通の文脈なら、百閒小説の文脈は、AがBしてCになった「すると」「突然」「ふいに」「ふと」Dである、といった感じ。 実は百閒小説は、「ふいにD」の所のイメージと造形が圧倒的に素晴らしいのですが、ただこの展開ばかりを読んでいると、だんだんABCの部分の読みがおろそかになっていきます。どうせDには論理的につながらないのだから、と。 しかしそうなると、必然的に「ふいにD」の、イメージの飛翔とでもいうべきものによる驚きも面白さも失われてしまいます。……。 筆者は20年間、毎年2、3編の小説だけを発表していました。(もちろんそれだけでは食えないわけで、基本的には別に教育職をなさっていたんですね。しかし、一方で百閒の貧乏暮らしぶりは有名でありますが。) 上記に触れた『旅順…』の前書きに、またこのように書かれてあります。 「文章ノ道ノイヨイヨ遠クシテ嶮シキヲ思フ而巳」 実は晩年筆者は、猫の話と旅の話を書いてベストセラー作家になります。 なるほど、例えば野球のピッチャーについて、「ベテランの配球」という言い方がありますが、それは若い頃に、火の玉のような「真向直球勝負」をしていた選手だから、晩年そんな妙味が出せるのでありましょう。
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Last updated
2023.05.07 07:21:16
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