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2023.05.21
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『雁』森鴎外(新潮文庫)

 本小説は、わたくし多分4回目の読書ではないかと思います。
 以前拙ブログにも一回取り上げています。その時私は、なぜ鴎外はこんな小説を書いたのかというテーマを持って、まー、一応の自分の納得点を書いています。(さっき、読み返してみました。)

 今回は、ちょっと私事でぐじゃとぐじゃと忙しかったこともあって、それなりのまとまった時間続けて読むことはせず、途切れ途切れに読みました。
 初めは、読み始めるたびに前回までのあらすじがよく思い出せなかったりして、落ち着いた読書にならないなあと思っていましたが、しばらくたって、いや、これはこれでなかなか面白い読書の形だぞと思い直しました。

 ぼんやり持っていた知識で、この小説は『スバル』という雑誌に連載していたはずだ。『スバル』ってのは、月刊雑誌じゃなかったかしらん。そうであるなら、本来鴎外が想定した読者の読書リズムに近くはないかしら、などと。

 実は新潮文庫の解説文の最後に「『雁』の発表の大体をつぎに示しておく。」とあって、発表事情が書かれています。なんか、私みたいな読み方をする人を見透かしたような解説で、少しびっくりしたのですが、こんな風にあります。

 ・一九一一(明治四四)年九月~一九一二(明治四五)年七月(拾捌マデ)
 ・一九一二(大正元)年九月(拾玖)
 ・一九一三(大正二)年三月、五月(弐拾壱マデ)
 ・一九一五(大正四)年五月単行本『雁』(籾山書店)刊行の折、以下を完結(弐拾四マデ)。

 ……なるほどねー。
 これによると、この小説は2回、大きく中断されていることがわかります。(明治45年と大正元年は同年ですね。)
 一つ目の切れ目は「19」章の終わり、つまり中盤のクライマックス岡田の蛇退治が終わったところであります。(なるほど、この蛇退治は、これを受けて二人の仲はどう変わるのかと次に気を持たせる狙いのあったエピソードですねー。)

 二つ目の切れ目は「21」章の終わり、展開としては、末造は出張で、下女のお梅を実家に帰して、いよいよ満を持して岡田に話し掛けよう、そのために勝負床屋(!)へ髪を結いに出かける、というところであります。
 うーん、ここはまたここで、次回に大いに読者の気を持たせるところですねー。
 鴎外、うまい! 鴎外、策士!

 ……と、いうようなことを知ったのですが、その前からも、このように途切れ途切れで読んでいると、ストーリー中心ではなく、場面場面の描かれ方により興味が行くことに気づき、何と言いますか、今更ながらに鴎外の文章のうまさにほれぼれしました。

 以前何かで読んだのですが、芥川龍之介が鴎外について「鴎外は胡坐をかかない」と言っていたそうですが、それを読んだときは、うーんいかにもそんな感じだなー、芥川もさすがに上手に言うな―、と思いました。
 本作を読んで、なるほど鴎外は胡坐はかいていないが、本作においてはどこか着流しの格好のようなしゃれた懐かし気な文体を感じました。

 本小説は、お玉が岡田に淡い恋心を抱くという話ですが、描写の中心になっているのは、お玉もさることながら、いえ、もちろんお玉描写も抜群にうまいのですが、わたくし今回、お玉描写には、時々鴎外の他作品に見えるような少し「啓蒙家」っぽい書きぶりを感じました。それに比べて圧倒的に感心するのは、高利貸し末造の造形であり心理描写でありましょう。これは、本当に凄い!

 先日パラパラと司馬遼太郎の『街道をゆく』を、見るような読むようなことをしていました。
 朝日文庫37巻目「本郷界隈」の巻であります。
 そうですね、無縁坂について書かれてあり、当然ではありますが、『雁』に触れられています。
 その中にこんな部分がありまして、わたくし思わず我が意を得たりと興奮しました。こうあります。

 その岡田と、末造の妾お玉との淡い交情を運命的にえがいたのが『雁』なのだが、末造の描き方が入念で、みごとというほかない。いまはファイナンスなどとよばれる高利貸という職業は、明治時代、社会のどの層からも疎まれていた。
 そういう男が妾を持ちたがったという情念の質感についても、鴎外は、末造の尻のあたりの脂がにおってくるように書く。

 どうですか。
 「尻のあたりの脂がにおってくる」なんて、よー書くモンですなー、司馬センセイも。

 しかし、その末造の描写も終盤は出張に行かされたまま、やや尻すぼみに終わります。
 冒頭に書きましたが、以前読んだとき、私は鴎外はなぜこんな小説を書いたのだろうと考え、私なりの一応の結論として、ボヴァリー夫人がフローベルであるように、お玉は鴎外なのだと考えました。
 そう読めば、わが生涯を嘆くお玉の描写が、鴎外の冷めた現実直視の姿に似ている気は確かにします。

 しかし、今回、ストーリーはあまり追いかけず、場面の描写に(ほれぼれしつつ)読んだ結果思ったのは、なるほど、お玉はエリスか、という事でした。

 お玉はエリスとは、あまりに荒唐無稽な気が、わたくしもします。
 しかし、この荒唐無稽の「裏付け」として私に浮かんだのは二つの事柄です。

 ひとつは、鴎外の長男森於菟が書いた「鴎外のかくし妻」の話。(『父親としての森鴎外』ちくま文庫)
 もう一つは鴎外の詩『「扣鈕(ぼたん)」』にあるフレーズ、これです。

 えぽれつと かがやきし友
   こがね髪 ゆらぎし少女
   はや老いにけん
   死にもやしけん

 鴎外は1922(大正11)年に亡くなります。
 『雁』を書いていた時期は、他に『興津弥五右衛門の遺書』や『阿部一族』が書かれ、すでに晩年の「史伝」執筆に向かい始めた時期であります。

 「扣鈕(ぼたん)」では「はたとせまえ」とあって、青春時代のブロンズの髪の女性(たぶん「舞姫」のエリスのモデル女性)を懐かしがっています。
 『雁』の描かれる15年ほど前、鴎外は「かくし妻」を一時期持ちます。
 晩年を身近に控えつつあった鴎外が、その時の彼女をふと振り返り、思い出し、そしてエリスに重ね慈しむ様にして描いたのがお玉ではないかという私の「妄想」について、私は、今回の読書報告として、まったく勝手に満足している次第であります。
 (と、いうことは「尻のあたりの脂がにおってくる」ように描かれた末造は、鴎外自身の姿ということになりますが、私はそれはそれで何も問題はなく、小説に取り組む鴎外らしい真率な態度だと思います。)


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Last updated  2023.05.21 11:37:04
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