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カテゴリ:平成期・平成期作家
『銀河鉄道の父』門井慶喜(講談社) 宮沢賢治が主人公、いえ本当は賢治のお父さんが主人公です。 でも、賢治がいなければ成立しません。賢治が現在超有名人だからこそ、こんな風に小説になるんですね。 そもそも、小説になる小説家、というか、その伝記的なものがお話や映画などになる小説家って、どのくらいいるのでしょうかね。どんな小説家がお話の主人公級になるのでしょうか。 ちょっと考えてみました。条件は二つあるいは三つかな、と。 まず広く国民が知っている有名小説家、つまり有名作品があること。 次に、かなり変わった人柄人間性、であることかなあ。 まあ、ここまででもいいのですが、あえてもう一つ挙げると、プラスアルファの盛り上がりイベントがあること、でしょうか。 そんな条件に当てはまる小説家を適当に思い浮かべてみますと、やはり太宰治が一等賞かなと思います。たくさんのいろんな映画などになっているような気がします。 そして上記の私の三条件に見事に当てはまっていますよね。(いうまでもありませんが、太宰の三つ目の条件は、異性関係心中付きであります。) 私は宮沢賢治は二等賞だと思っていますが、その前に、三等賞以下をさらっと考えたいと思います。 三等賞は、わたくし漱石じゃないかなと思います。けっこう小説や映画などの主人公級になっていますよね。漱石の場合、条件三は、少し弱い気がします。しかし、条件一は圧倒的だし、条件二の変人性もかなり強烈なものがありそうです。 で、三等賞、と。 以下は、と、考えると、……あれ、なかなか浮かびません。中也? 啄木?……。 私の無知故もあるでしょうが、どうですか、貴殿は思い浮かんだでありましょうか。 というわけで、入賞は三等賞まで。以下、なし、と。 で、さて、宮沢賢治であります。いえ、宮沢賢治の父であります。 主題はあくまで「父」なんですね。これがわたくし、本小説の最大の手柄だと思います。 父と息子の物語というのは、ギリシャ神話の頃より(エディプスコンプレックスってのも、父と息子の話ですかね、あれは、母親がポイントでしたっけ)数多くあるような気がします。父を息子がいかにして乗り越えるかという話ですね。 少し話は飛ぶかもしれませんが、父と息子と二代続きの優れた作家というのは、あまりいらっしゃらない気がしませんか。父と娘なら割といい線まで行くコンビは幾組か思い浮かびますがねー。 で、さて、再び賢治と賢治の父です。賢治の父は小説家ではありませんが、地方の名士、成功者でありました。そして、本書によりますと、賢治にとっては「骨がらみの父」であるわけです。本書の第一章のタイトルが「父でありすぎる」とあって、本作品のテーマがすでに挙げられています。 偉大な父でかつ結果として息子を溺愛する父。 そんな父親だと規定すると、その存在は賢治にとってはやはり一つの苦痛であったように思います。そしてそれが、よく描かれています。 加えて、そんな父がきわめて内省的で理性的であるところが、本書の興味深さの中心にあるように思いました。 本書の第二章に、こんなことが書かれています。(「政次郎」が父親です。) われながら矛盾しているが、このころにはもう政次郎も納得している。父親であるというのは、要するに、左右に割れつつある大地にそれぞれ足を突き刺して立つことにほかならないのだ。いずれ股が裂けると知りながら、それでもなお子供への感情の矛盾をありのままに耐える。ひょっとしたら質屋などという商売よりもはるかに業ふかい、利己的でしかも利他的な仕事、それが父親なのかもしれなかった。 こんな感じで、本小説にはほぼ初めから最後まで、「父親論」が描かれています。 もちろんそれは、主人公の父の主観によるもので、自分の気持ちの辛さが描かれているのですが、終盤になっていくほど息子はまったく意のままにならず、父親を生きることの苦悩が積み重なっていくという話になっていくのですが、しかしお話が俄然面白くなっていくのはこの辺りからで、父の様々な姿がどんどんユーモラスになっていくんですね。 この辺がうまいですねー! 本書には二つのクライマックスがあります。 ふたつめのそれは、賢治の死です。三七歳で迎えてしまう賢治の死です。 そして中盤のそれは、名作「永訣の朝」に描かれる最愛の妹トシの死の場面ですね。 冒頭に書いた条件三盛り上がりイベントは、賢治の場合はこの妹の死になります。 という風に泣かせる部分も抑えつつ、しかし、私は本書を読みながら、特に終わり近くになって、ふと気づいたことがありました。 冒頭に書いた、お話になる小説家という話題ですが、特に賢治がらみだからそうなのかもしれまんが、このお話はきっと「ハッピーエンド」になると、予想できたことでした。 もちろんハッピーエンドだから良い作品ではありませんが、確かに賢治は夭折といっていい年齢で亡くなりますが、その後の彼の作品の大いなる広がり方を知っている我々にとっては、映画が、伝記的事実のどの時点までで終わろうと、やはりその先に浮かぶのは、文学者としての宮沢賢治の「ハッピーエンド」だと思います。 私はそんな思いで終盤を読み上げました。 個人的な感想かもしれませんが、文学好きの私にとってはとてもウォームフルな「ハッピーエンド」でありました。
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