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カテゴリ:昭和~平成・評論家
『子規、最後の八年』関川夏央(講談社) ちょっと前に、地域の図書館の中を例によってぶらぶらしていた時に、全集の置いてある棚で集英社版の『漱石文学全集』全11巻というのを見つけました。 漱石の全集なら、まー、岩波書店のを読んでいれば間違いはないだろうと、安易に考えていましたので、あ、こんなのも出てるんだな程度の興味で何となく、何冊か棚から出し入れをしていましたら、第11巻目が別巻で、それが一冊まるまる荒正人の『漱石研究年表』でした。 奥付によりますと、第一刷の発行が昭和四十九年となっていますから、ちょうど半世紀前の研究です。きっと、その後新しい漱石研究についての知見もあれこれ出て来ているのでしょうが、とにかく私としては、初めてこの本のことを知った時は、やはり少し驚きましたね。 誕生から死去(+葬儀などの日程)までの可能な限りの漱石についての情報を、何年何月何日の何時というレベルにまで細かく触れて書いてある本であります。 これは、初めて読んだら、やっぱりちょっと驚きますよねー。(そういえば思い出したのですが、『源氏物語』のすべての単語を品詞分解した基礎研究があると聞いて、その頃できの悪い大学生だった私は、やはり少し驚きましたね。コンピューターなんか出回ってない時代の話ですから。) この度、本書を読んでいて、ふっとそんな感じがしました。 もちろん本書は、荒正人の研究のレベルまで正岡子規の晩年八年の日常が書き込まれているわけではありません。 でも、例えば子規のこんな短歌が引用されているんですが…。 詩人去れば歌人坐にあり歌人去れば俳人来り永き日暮れぬ 最晩年、本当に子規が体をほとんど全く動かせなくなるまで、子規の家には、この短歌のごとく四六時中様々な人があふれんばかりに訪れていたようです。 そしてそれを、筆者はその人物紹介も含め丁寧に描いていこうとしています。 当然、記述は長く緻密になっていきます。だからとても分厚い本です。四百ページ余りもあります。 ただ、そんな子規の関係者を丁寧に描こうとしている筆者の意図は明らかで、というか、これは描かないわけにはいかないのだろうなと、読んでいて気が付きます。 それは、その子規の関係者の多くが、後年さまざまな分野の第一人者として、とても大きな仕事をなすことになる人物たちだからであります。 このことは何を表しているのでしょうか。 たぶんそれは、子規の人格が、優れた人物を引き寄せたという事でしょう。これでは、子規を描くためには、周りの人物を描かないわけにはいかない、と。 ということで、そんな長い本でした。 ところで、以前にも拙ブログのどこかで触れたように思いますが、私には、文学史上かなりの高評価な文学者でありながら、なぜそんなにもたくさんの人が高い評価をしているのかよくわからない文学者が三人います。 それは、韻文系の文学者であります。 宮沢賢治、石川啄木、そして、まー、申し訳ありませんが、正岡子規ですね。 前二者については、今回はとりあえず置いておきます。 正岡子規についてですが、確かにあの病状で、俳句界と短歌界の革新をなしたというのはとてつもなく凄いのでしょうが、……うーん、「猫に小判」は、変な例えですかねー、要するにそのことの「汎近代日本文学史的凄さ」が、私にはよく理解できないでいました。 ただ、この度本書を読んで、ひょっとしたらそのヒントになるかもしれない二つのことを知った、と思いました。 ひとつは、上記にすでにふれていることです。言い換えれば、多くの優れた後進を育てた才能。(どこかでやや極端な説を読んだことを思い出しました。福沢諭吉の業績のほとんどはもはや歴史上の業績にとどまっているが、唯一「現役」の最大の業績は、優れた後進者を生み出す教育機関=慶應義塾大学を作った事である、って、極端すぎますがー。) もう一つは、例えば本文にこんなことが書かれています。 英国留学をしていた漱石が子規宛に送った手紙=「倫敦消息」について書かれた文章です。 経済が人の運命を翻弄し去るのは、ロンドンも東京もかわりはない。そんな浮世のどたばたを、事実を並べつつおもしろくえがいた「倫敦消息」は好評であった。子規はことのほか喜んだ。 この手紙の文体は、漱石にとっても発見であった。つぶさに観察された人物像が簡潔にしるしてあるのは、子規の俳句に対する態度から無意識にうけた刺激の成果であろう。 そして、その数ページ先にはこう書かれてあります。 ロンドンで、読者としての自分を発見し、また自分の書きものをたのしみに待つ病床の子規に読者の存在を実感した漱石は、このとき自分では気づかぬうちに、小説家たらんとする助走を開始していた。 少し注釈をつけますと、「読者としての自分を発見」というのは、妻の鏡子からの手紙を首を長くして待っていた漱石自身の事です。 さて、近代日本文学最大の文豪である漱石の誕生に一番影響を与えた人物としての正岡子規という図式は、わたくしも以前より何となく理解していましたが、そのことが、漱石を通しての、日本語表現の発見と読者の発見を表すことであるという論旨は、とても納得できました。 だから子規とは、俳句短歌界のみならず、汎近代日本文学的「揺籃」そのものである、と。 なるほど、切れ味鋭い関川節は、本書にも広く健在であります。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.10 09:01:25
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