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2024.11.17
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  『日の砦』黒井千次(講談社文庫)

 まず、タイトルが、純文学っぽいではありませんか。
 『日の砦』ですよ。何の意味なんでしょうね。雰囲気はいかにもありますが、具体的には何を表しているのかよくわかりません。

 加えて、筆者が、いわゆる「内向の世代」と文学史的には派閥分けされる黒井千次であります。「内向」していく「世代」なんですね。
 この筆者の作品は、私はそんなにたくさん読んだわけではありませんが、『群棲』という連作形式の短編集に、かつてかなり感心した覚えがありす。

 今回の本も、この文庫本の裏表紙の作品紹介(作品宣伝)の文章を読むと、こんな風に紹介してあります。

​ 家族の穏やかな日常にしのびよる、言いしれぬ不安の影を精緻に描き出した連作短編集​

 なかなか煽った文章ですね。
 その上、冒頭に触れたようにわけわからぬながらいかにも純文学っぽい『日の砦』タイトルですから、これはもー、きっと『群棲』の感動再びの小説ではないか、と。
 まー、そんな風に思って私は読み始めたのでありました。

 全話をほぼ20頁ほどに統一した10篇の話による連作短編集です。
 私は、一つ目の「祝いの夜」を読みました。
 おもしろかったですねー。とても良かったです。
 一つの物語空間が始まろうとしている描写が、ゆっくりしっとりと展開され、そしてそこに予想通り(作品宣伝文の紹介通り)、「しのびよる」「不安の影」らしいものの存在が、終盤ふっと現れてさっと消えていきました。そこには、いかにもという雰囲気がありました。

 そして私は、二作目、三作目と読んでいきました。
 悪くはなかったです。でも読み進めていくと、まー、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、やはり『群棲』のずっしりと重い存在論的な不安感とは違った感覚でありました。

 10篇のうち、前半は、素材が少し薄味に過ぎるせいかなと、私は思いました。
 作品のまとまった余韻というには、やはり描かれていることが微細すぎて、受ける思いが弱く、固まってこないように感じました。

 ところが、そんな感覚の話が、六つ目あたりから少し変わってくるんですね。
 どこが変わってくるかといえば、それは、還暦を過ぎ定年退職をした主人公の男性が、実際にいろいろ動き出すことからであります。
 それは例えば、町で見ず知らずの男の後をつけてあれこれ世話をしようとしたり、カラスと戦闘状態に入ったり、とにかく、知人でもない人物とやたらに話をする(話しかけたり話しかけられたりする)、そんな展開になっていきます。

 そのように変わっていくと、話のトーンもやはり大きく変わっていきます。
 私は、主人公の変貌に、思わずこれではおせっかいな男の滑稽話じゃないかと独り言ちてしまいました。

 私はそう思って、第一話「祝いの夜」の主人公の姿はどこへ行ったのだろうと、もう一度パラパラと第一話を読み直してみると、あ、と気が付きました。
 第一話は、夜に家族でタクシーに乗り、その運転手と少し不気味なやり取りをするという話ですが、その運転手の不気味なセリフを引き出したのはことごとく、の還暦すぎの主人公の、あらずもがなの一言ではありませんか。……。

 ……んー、とわたくし少し考えたんですね。
 で、勘違いしていたことに気が付きました。
 私は、『日の砦』という(純文学的)タイトル、内向の作家という筆者の位置づけ、そして、この文庫本の裏表紙の作品紹介宣伝文に勘違いしていたのであります。


 おそらく、本短編集で筆者が狙ったのは、同じ「不安」ではあっても、人間存在そのものに繋がってくるような不安ではなくて、むしろ世俗的な日常生活に次々起こる些細な「トラブル」を、煩わしく思い戸惑う姿を描いたのではなかったか、と。

 例えば、存在論的不安や恐怖を描いて、日本文学における第一人者は、多分内田百閒だろうと思います。また、家族間の日常にしのびよるやはり不安を描いて名作であるのは川端康成の『山の音』(これも連作短編!)だと思います。
 この度の本作は、(作品完成度比較は少し置くとして、)これらの作品とはまた少し異なった新しい時代の日々の「不安の影」なのかもしれません。

 だとすると、本文庫裏表紙の作品紹介文章は、さほど不正解なことを読者に期待させているわけでもなさそうであります。

 (ただし、家族を描きながら、家族間の心情の食い違いについて、ほとんど触れられていないのは、やはり「不安」の中心に踏み込めていないのではないかという気は、わたくし少しするのでありましたが。)
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Last updated  2024.11.17 11:38:37
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